宮澤やすみの仏像ブツブツ

午の日と千手観音

立春を過ぎたとはいえ、この時期都内は雪模様で寒いです。

そんなときに秘仏開帳されるのが、上野・寛永寺の清水観音堂。
上野公園の中にある赤いお堂で、戦火も震災も耐えて創建当初のまま残っている重要文化財です。

ここは、京都の清水寺を模して仏像を配置してますから、ご本尊は千手観音。毘沙門天と勝軍地蔵(地蔵なのに甲冑着て武器をもってる)がかっこいいです。
毎年、2月の初午(はつうま)の日に特別法要とともに開扉されます。


宮澤やすみ著『東京仏像さんぽ』(明治書院)より)

以前から、「なぜウマの日?」と思ってたんですが、調べたところどうやらご本尊にゆかりある武将の物語が関係しているようで。

時は平安末期、源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一門。そのうちの平盛久(もりひさ)は捕えられ鎌倉へ護送。
由比ガ浜で首を斬られるはずが、刀が突然3つに折れてしまい、処刑できなくなるという奇跡が起こったそうです。
で、源頼朝が調べさせると、その因縁は清水寺にあったそうで。

合戦後、平盛久は京の都に潜伏。もともと清水寺に深く帰依していたので、清水寺金堂内陣の本尊の脇に自分の護持仏を安置。それから毎日清水寺に詣でていました。
そのおかげで身元がバレて捕まるんですが、そのかわり(?)処刑の日は観音の加護で奇跡が起きたのでした。(ちょうどその日、清水寺に安置した護持仏の手が折れたんだそうで)

頼朝がその話を聞き盛久を助命。旧所領を返還することにして馬を与えたそうです。

というのが、「平家物語」や謡曲でのおはなしなんですけど、この時代の高位の武家は深く仏教に帰依して仏像造ったり写経したりしていたそうですから、頼朝さんも盛久さんのような人の気持ちが理解できたんでしょうね。

で、「ウマの日」の話なんですが、この平盛久さん、通称を「主馬(しゅめ)八郎」といったそうで、主馬とは馬の管理役のこと。
そして、この主馬八郎が清水寺の本尊脇に安置したという仏像が、上野・清水観音堂のご本尊なんだそうです。
馬にゆかりのある平盛久の護持仏が清水観音堂の本尊。これでやっと馬とのつながりが、うっすらと見えてきましたね。

初午の日というと、一般的には伏見稲荷の縁日で、稲荷神社にお稲荷さんや団子をお供えします。
だから、清水観音堂と午の日の関係が見えなかったんですが、こうした平盛久の縁もあるのかもしれませんね。

ただ、干支と仏像の縁は、陰陽五行説にもとづいてかなり複雑な関係があるので、もしかしたらほかに深い理由があるのかも。もしほかに何かわかったらまたご報告します。

今年2017年の初午は、2月12日(日)。
特別開扉といっても、ご本尊の姿がはっきり見えるわけではないのですが(仏像ファンには残念)、でも特別な日にお参りしてみてはいかがでしょうか。


宮澤やすみ著『東京仏像さんぽ』(明治書院)より)

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