宮澤やすみの仏像ブツブツ



直立する観音のお話 -前編-

2017年 9月 9日

前記事で、東洋西洋にある身体をくねらせた像の話をしましたが、直立の像ももちろんありますよね。

日本だと、たとえば聖林寺の十一面観音菩薩。

聖林寺十一面観音像イメージ


前記事で紹介した、薬師寺の像は脇侍として本尊の横に位置してました。きれいなトリバンガ(身体をくねらせる)のポーズでした。
脇侍だとこういう姿勢がキマりますね。

しかし、ご本尊、つまり主役として真ん中に立つ仏像の場合は、直立ポーズがまず基本。

観音菩薩の例で見てみましょう。

飛鳥時代の法隆寺夢殿観音、奈良の法華堂の不空羂索観音などは、お堂のご本尊であり、しっかり両足を揃え直立し、正面を見据えています。威厳がありますね。
画像は検索すればすぐ出ます。

上記の聖林寺十一面さんと法華堂の像は、だいたい同じ時代(天平時代)の作です。

ところが、時代が変わると流行も変わるもので、とくに十一面観音については平安時代初期に変化がでる。密教の仏画の影響で、ご本尊でも動きのあるポーズをとるようになる。
代表例は、奈良・法華寺の十一面さま!


法華寺十一面観音像イメージ

脚を踏み出すポーズが素敵ですよね。助けに出向こうとする瞬間の姿、ですね。
この姿勢は、踊っているような古代のトリバンガ(前記事参照)とは異なる表現です。


こうして、ご本尊的な存在であっても動きのあるポーズが造られるようになり、ほかの仏像も変わっていく。
本来座っているのが基本だった不動明王が立ち姿になったり、阿弥陀如来が足を踏み出したり、快慶の「釘打ち阿弥陀」なんかはその足に釘が打たれたりする。
もちろん直立形だって変わらずたくさん造られるわけで、まさに立像いろいろな時代。


山を駆ける修験者は、立った姿の不動明王にアクティブな要素を感じた?


と、こんな感じで時代や信仰によっていろいろバリエーションが出てくるんですが、神社に祀られる仏像は、そんな中でも直立ポーズが基本のようです。

そうすると、神社の仏像ってナニ?って話になるのですが、そのへんはまた次週ということで、また!


ミロのヴィーナスから薬師寺菩薩へ 後編

2017年 9月 2日

前記事で、ミロのヴィーナスと薬師寺・日光月光菩薩を出して、
「コントラポスト」と「トリバンガ」を紹介しました。


トリバンガのスタイルを踏襲:日光&月光菩薩イメージ


両者のちがいって、何なんでしょうか? それとも要は同じことなんでしょうか?
そのへんは調べても、なかなか明確な答えは出てきません。
グルメと同じで、「洋モノ」「和モノ」の区別は存在しますが、その境界線はなかなかむずかしい。

ちなみに、日本の仏像はもちろん日本美術の範疇に入りますが、薬師寺など古代の仏像は海の向こうの美術をマネしたわけで、言ってみりゃもうほとんど「洋モノ」なんですよね。

たとえて言うなら、日本人が作ったパスタみたいなもので、しかも薬師寺像は、本場イタリアに劣らない上等のパスタ、なんとかのタリアテッレとかそういうやつですね。
これが、平安時代くらいになると、ナポリタンスパゲッティみたいに日本化していく。

私はワインが好きな人でして、古い仏像に惹かれるのはそのせいでしょうか。
あ~イスムの仏像を見ながら、ワインが飲みたい・・・。

ま、それはさておき……、

「コントラポスト」と「トリバンガ」の問題です。
まだ仮説ではありますが、私が個人的に思いますのは、両者はやはり同じものではなく、コンセプトが違うのではないでしょうか。

コントラポストは、片足に重心をかけたポーズとのことでして、わりとくつろいだ姿勢と言いますか、ごく自然な姿勢に思えます。
それを基本姿勢にすると、人物(神)の内面の感情がうまく表現されるのだそうです。


古典的なコントラポスト:ミロのヴィーナス

いっぽう、トリバンガは、動きを表現しているのではないかと。
ウォーキング・ブッダ(前記事参照)は歩き出しそうだし、菩薩たちは踊っているようです。インドや東南アジアの民俗舞踊にその源流が見られるようです。
なにしろ、こっちに向かってくるような感じがします。

つまり、観る者と彫刻との間の、意識の方向がちがいます。

トリバンガの仏像は、観ているこっちに向かって何かを働きかけてくれる、「積極性」みたいなものを感じます。
コントラポストのヴィーナスは、こっちのほうがヴィーナスの内面に引き込まれる。
ヴィーナス本人は遠くを見てこちらのことを気にかけない。「こっちに来たきゃくれば?」くらいの感じ(笑)。

そんなわけで、やはりコントラポストとトリバンガは同じようでちがうのではと思いました。

きっと、コントラポストのノウハウは、綿々と引き継がれてインドに渡ったのかもしれません。しかし、根底にあるコンセプト、つまり意識の働く方向は、民族ごとの精神性や、宗教観もろもろによって異なっていったのではないでしょうか。

以上は、あくまで私の個人的な印象にすぎませんので、ほんの参考まで。
今後また何かわかったらレポートしたいと思います。


ミロのヴィーナスから薬師寺菩薩へ(前編)

2017年 8月 26日

前記事で、西洋の美の基本は人体であると書きましたが、その代表例というとやっぱりコレですね。


ミロのヴィーナス

紀元前130年ころの作だそうです。
このポージングが特徴ですよね。左ひざを曲げて、右肩を下げて、腰も斜めになっている。
こういうポージングのことを美術の用語で「コントラポスト」といいます。

古代ギリシアからローマ、ルネサンスなどの時代、人体のポーズはコントラポストが基本。
人体の構造を熟知して、その美しさや精神性を存分に表現できるポーズとされたようです。

ここから先が本題でして、

当時の世界は、けっこう繋がっていまして、シルクロードを通して東西の文化が混淆。
古代ギリシア美術の影響を受けて、最初期の仏像・ガンダーラ仏ができました。

その後のグプタ様式はインド風で、直立ポーズもありますが、クネッと身体を曲げたポーズもある。
こういうポーズは「トリバンガ」といいます。
首、肩、脚を曲げたポーズのことで、三曲法ともいいます。

一例として、インドじゃなくタイの仏像だけど、参考まで、


東京国立博物館「タイ展」にて如来立像。通称”ウォーキング・ブッダ”

ほかにも、歩きだしそうな如来、踊っているような菩薩、見たことあるでしょうか。
インド美術 トリバンガで検索すればいろいろ出てきますよ。

さて、その美意識が東へ伝わり、遣唐使で行き着いたのが、薬師寺です。
薬師寺の日光菩薩、月光菩薩の腰のクネクネ加減! これぞトリバンガの最終形と言えましょうか。


日光&月光菩薩イメージ


で、ここで誰でも疑問を持つかと思うのですが、

「コントラポスト」とか「トリバンガ」とか言いますが、何が違うんでしょうね。
それとも同じことなんでしょうか……。

と、疑問を残したところで、続きは次週のお楽しみ!
引っ張ってスミマセン!

 
なお、「タイ展」は8/27(日)まで東京国立博物館で開催中です。
この記事掲載の翌日なんですけどね…。間に合えばどうぞ。


「ジャコメッティ」展で見える”仏像って何?”

2017年 8月 19日

あらためて「仏像ってなんだろう」と考えるよいきっかけとなりました。
国立新美術館の「ジャコメッティ」展を取材してきました。


撮影OKエリアもあって盛り上がってます

ジャコメッティといえば、ヒョロヒョロの人体彫刻が有名ですよね。

これを見て、ああ現代美術、わけわからん抽象作品、と早合点しそうですが、そうではないのです。
(私も初めて見たときは”なんじゃこりゃ”と衝撃を受け、そこからハマりましたがね)


突然こんなのが立ってたら”なんじゃこりゃ”となります

展覧会では、評論家の山田五郎さんのイヤホンガイドがすごく聴きごたえがあったので、許可を得てその言葉を引用します。

さて、ジャコメッティは、若いころはシュルレアリスムの仲間にいましたがすぐ離脱。抽象から、モデルを立たせての具象表現へ舵を切ります。

そこでのコンセプトは、自分の眼で見たまんまを、彫刻として再現するというもの。

作品をよ~く見ると、顔立ちや胸の形、ヒップなど、わりと生々しいイメージが伝わってきます。ジャコメッティが交際していた彼女をモデルに作った作品なんか、けっこうセクシーです。


表情や人となりが伝わってきます

でも、やっぱり写実表現とはちがいますよね。なんだか天ぷらの衣みたいな表面とかね(笑)、現実とかけ離れた異質な感じがします。
これ、べつにジャコメッティの視覚がおかしいとかそういう話ではない(マンガ『火の鳥・未来編』ではそんなシーンがありました)。

いったいどういうことでしょうか?

ジャコメッティを大変評価したのが、実存主義の大家・サルトルでした。彼の作品が「実存主義的だ」とおっしゃるのです。

山田五郎さんの解説によると、実存主義の考え方とは「世界は、自分が見えるようにしか存在しない」ものとまとめてくれています。今見えている世界(対象)は、あくまで自分というフィルターを通してのものにすぎないということでしょうか。

ジャコメッティは、見えたものをそのまま彫刻にするという行為で、自分だけの世界をこの世に現出させたと言えましょうか。だいぶややこしい話です。

だから、一般的な写実表現とは異なるのですね。

ジャコメッティは、モデルと何か月も向き合い、造っては削りを繰り返し、やっとのことで作品を創り出していったそうで、その制作過程は過酷だったそう。
きっと、造るというより「絞り出す」ような感じだったんでしょうか。

その中で、自分の見えている形を追求して格闘した「痕跡」が、あの天ぷらの衣状態なんじゃないでしょうか。

なにしろ、ヒョロヒョロスタイルや天ぷらスタイル(勝手に命名)を、意図的に編み出したわけではなく、やっているうちに「なんだかこうなっちゃった」というのが実情のようです(後に紹介する山田五郎さんのVTRにもあります)。


ジャコメッティにかかるとネコもこうなる(笑)


さて、仏像ファン目線で見ると、同じ彫像でも考え方が正反対のようで、しかし同じ到達点に向かっているような、そんな思考ループに陥ります。


山田五郎氏によると「実存主義の反対は本質主義といって、自分がいなくても世界は存在するというもの」だそうですが、信仰の世界はわりとこちらに近いでしょうか。

目には見えない、観念的な存在である仏を、彫像としてこの世に現出させるのが仏像造りの目的。

いわば、そこに「ない」けど、心のなかにあるものを、現実に「ある」ものとして目の前に置いてくれる。

一方、ジャコメッティの場合は、現実に「ある」ものをひたすら見て、対象と作家を隔てる存在や、作家の心の奥に沸き立つものを形にする。

両者は、アプローチは正反対ですが、どちらも存在の本質に触れようとする試みは共通してる気がしました。


展示後半の「ヴェネツィアの女」は圧巻

ただ、アプローチが正反対だからといって、単純にヨーロッパと東洋という紋切り型の解釈はできないでしょう。ジャコメッティの生きた20世紀という時代の空気もあるかと思います。

ちなみに、ジャコメッティのようにどんどん削っていくことで量感を表現する「引き算の美学」は日本人の美意識にマッチするのでは、と山田五郎さんおっしゃってます。

一般に、ヨーロッパでの美の基本は人体、東洋での美は自然とされるようで、そこに美術や宗教の本質が見えてきます。こうした東西美術の比較については、これからも取材していきたいと思います。


最後に、山田五郎さんのわかりやすい解説動画があるので貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=UCsgZW84l88

ジャコメッティ展
(東京展)
2017年6月14日(土)~9月4日(日)
国立新美術館企画展示室 1Eにて
月曜休館
(愛知展は10月14日から豊田市美術館)

展覧会公式サイト
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/


たのしい地獄へ!「地獄絵ワンダーランド」展

2017年 8月 12日

暑い夏にスパイシーなカレーが食べたくなるように、夏は熱い地獄の絵を楽しむのがいいですね。
東京日本橋・三井記念美術館の「地獄絵ワンダーランド」展を取材してきました。


地獄あれこれ、各種取り揃えてます!

やっぱりイチ押しは、後期展示のヘタウマ地獄絵ですね。

大きな掛け軸に地獄の王と獄卒、亡者、そのどれもがイイ感じに力が抜けて、マンガのような顔。
とくに亡者はヘナっとした顔が良い(笑)b
なんだか、さくらももこのマンガエッセイに出てきそうな、ちびまる子ちゃんと一緒に夢の中で遊んでいそうな感じの、のほほんとしたお顔です。

その画像は、美術展サイトの「展示室7」をご覧ください。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html


閻魔王と随神の像。このほか閻魔大王の前身である、密教の閻魔天の図像が興味深かったです。

江戸時代は、神仏が庶民に浸透し、その結果かなり身近なものになり、だから冗談まじりの作品も登場します。

筆者は三味線を弾いて歌う「小唄」の師範ですが、小唄にも「お釈迦さん」という釈迦降誕会(灌仏会、花祭り)を歌った作品があります。
その歌詞は、
”賽銭箱にけっつまづいて甘茶の中へと落っこったぁ~”
と、赤ん坊姿のお釈迦さんを(良い意味で)小バカにした歌です。

ほかにも、風神雷神が吉原へ繰り出して大騒ぎという唄もあったり。
神仏を歌う小唄はだいたいナンセンスなものばかり。

つまり、江戸時代には神仏はそれだけ身近で、信心深さを建前にしながら、実際は友達扱いしてしまうような付き合いだったようです。

だから、地獄絵の方向性も、怖がらせるよりも楽しんじゃう感じがウケたんじゃないでしょうか。


仏像ファン目線では、仏の世界の階層が理解できて面白いです。
よく言われる「六道」(人間が輪廻を繰り返す6層の世界)があり、その上に仏の世界が「須弥山」という大きな山で表現される。
四天王などの天部はその山の中腹にいて、人間世界を監視したりしている。山の頂上忉利天は、帝釈天の居城「喜見城」がある。その上空はホトケの世界で、弥勒菩薩のいる兜率天などいろんな階層が存在。


須弥山を描いた大パネルがわかりやすい。喜見城の部分を接写


今回のテーマである地獄は、山の下にある人間世界から、さらに地下深くへ潜ります。
地下と言っても、デパートみたいに地下2階食品売場でお惣菜買って帰るのとはわけがちがいます。

地獄にも八層あるそうですが、地下8階「無間地獄」へは、ひたすら下へ降りていくこと実に2000年間!
2000年かけてやっとフロアに到着して、そこから地獄の責め苦が永遠に続くのです。気の短い人は到着するまでに気が狂ってしまいそう。



木喰作の像も楽しいです。前列左の葬頭河婆(奪衣婆)は三途の川で衣をはぎ取る「地獄の受付嬢(婆)」。


一人でも楽しめるし、仲間とワイワイ言いながら観て歩きたい展示です。

特別展「地獄絵ワンダーランド」
(東京展)
2017年7月15日(土)~9月3日(日)
月曜休館
三井記念美術館にて
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
(京都展は9月23日から龍谷ミュージアム)


出雲仏像の旅7 -神迎えの地の風景、うまいもの-

2017年 8月 5日

神社と仏像と鉄道に浸った出雲の旅でしたが、ほかにもなかなか良い写真撮れたので載せますね。

まずはこちら、


出雲大社横・稲佐の浜の「神迎えの道」

10月には国じゅうの神が出雲に集まることになっていて、ここで神をお迎えして大社まで導きます。そこに自宅を構えるご家族に遭遇。おばあちゃんの視線の先にはお孫さんが。神が上がる道で暮らすってどういう気分でしょうね。

つぎはこちら、


松江大橋から見た夏の夕暮れ

夏至の夜の幻想的な空。ひとり酒飲んでましたが慌てて外に出て撮影しました。

で、その時に食べていたお刺身がこちら。


島根の魚の代表!あご(トビウオ)の刺身

山陰の魚といえばやはりコレですね。

あと、出雲の旅なのに出雲大社の写真が一枚もなかったですが、ちゃんと行きましたよ。
その近くにあった湧き水がとてもきれいでした。
40秒動画でどうぞ。


出雲大社の脇にある「真名井の清水」

出雲大社そのものは、こちらの動画を。
本殿は南向きに建っていますが、内部の神座は西向きになっているため、西側側面に賽銭箱があって参拝できるようになっています。


出雲大社本殿西側、神座正面参拝所

要するに、神様は西向きに座っていらっしゃる、ということですね。ちょうど稲佐の浜を臨むようなかっこうです。それが何を意味するのかは……わかりません。


出雲の旅レポートはこれで終了、次回からは別の話題をお届けします!


出雲仏像の旅6 -出雲大社を見守る「天津神」-

2017年 7月 29日

出雲の旅シリーズの3でお伝えした日御碕神社ですが、出雲大社からバスで海沿いを20分ほど。潮の香りがする岬に鮮やかな朱色の社殿が忽然と現れます。



日御碕神社の「日沉宮(ひしずみのみや)」

写真の「日沉宮」は天照大神(アマテラス)が祀られていますが、高台にある「神の宮(かんのみや)」には素戔嗚命(スサノオ)が祀られます。

この地は、スサノオが鎮まった地とされるので、「神の宮」のほうが歴史が古いのです(社殿は江戸初期の建築)。

二つの社殿の位置が特徴的で、およそ45度の角度で向かい合うように建っていますが、神社の人に聞いてみると、それぞれの社殿の背後が重要なのだそう。

まず、日沉宮の背後にあるのは「経島(ふみしま)」です。境内を出て歩いてみると、すぐ見えます。


ぽっかり浮かぶ聖なる島

今はウミネコ繁殖地で有名ですが、よく見ると小さな鳥居があります。伝承では、スサノオの御子がこの島に天照大神を祀ったのが始まりで、島の上に神殿を築いたそうです。
現在も、8月7日の宮司による祭祀のほかは禁足地とされます。


また、神の宮の背後にあるのは「隠れ丘」。こちらも行ってみました。こちらは小高い茂みの中です。
あまり手入れされてない藪の中を、蜂に注意しながら進むと、草むらに鳥居が建っていました。


夜にはあまり来たくない感じの、鬱蒼とした隠れ丘

伝承では、こここそ素戔嗚命が鎮まった地なのだそうです。
国創りの役目を大国主命にゆずったスサノオは、
「吾が神魂はこの柏の葉の止まるところに住まん」
と言って、柏の葉を飛ばしたところ、ここに落ちた。
以降、ここに素戔嗚命を祀る社が建ったとのこと。


柏葉のエピソードから、神社の神紋は「三つ柏」


経島も隠れ丘も、社殿などは無く自然そのままの形ですが、それがまた古代の聖地という感じでして、ワクワクしますね。


それにしても、ふつうは暴れん坊スサノオより、姉のアマテラスの方が格上になりそうなものですが、ここではスサノオがアマテラスを見下ろすような位置関係になっています。

さすが出雲。国創りの地、そして「根の国」の比定地とも言われる出雲ならではのことかと思います。

そして、もともとスサノオだけを祀っていたのが、あとからアマテラスが祀られるという順番も不思議。

「出雲の旅3」で書いたように、国創りをした側の大国主命(出雲大社)を取り囲むようにして、奈良平安の朝廷の息がかかった仏像やアマテラス信仰が付け足されているので、奈良朝~平安初期の間に都の影響力と出雲の関係がぐっと近づいたんだなということが想像されるのでした。

ちなみに、僕の仏像の好みはまさにこの奈良~平安初期のものでして、この時代のドロドロした話(笑)には目が無いのです。


日御碕神社は仏像がなく、簡単に済ませようと思いましたが、やはり重要な場所なのでしっかりご紹介したいと思い、この連載で書かせてもらいました。

仏像と神社の両方をみることで、いろんな歴史のストーリーが見えてきます。
今回の出雲の旅は、なかなか考えさせられる、充実した旅となりました!

次回はこのシリーズ最後に「番外編」といたします!(スミマセン一週伸びちゃいました)。

 
(追伸)
ちょうどよいタイミングで日御碕神社に関連するニュースが出てました。海底遺跡ですって!
【階段状の岩や参道?「海底遺跡」にダイブ…出雲】YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170725-OYT1T50045.html


出雲仏像の旅5 -古代の国際港・美保関のヒミツ-

2017年 7月 22日

出雲大社から東へ、美保関の旅は続きます。

一見すると、のどかな漁村に見えますが、そこにある美保神社は出雲大社に並ぶ壮大な社殿。
『出雲国風土記』にも登場する古社で、それだけこの地が重要な場所だったことが偲ばれます。
国家レベルの重要拠点だからこそ、都の当時最新の様式を伝える仏像が置かれたわけです(前記事参照)。


美保神社。まず立派な拝殿に圧倒

地図をみると、この地の重要性が見えてきます。
Googleマップで、美保関周辺の地図をごらんください。
(埋め込んでみたけど、うまく見えますか?)


ご覧のとおり、美保関は横に張り出した岬の突端にあたり、よそからやってきた船がまず立ち寄るのが美保関。
出港するにもここで「風待ち」をして出発します(昔は帆船なので)。

朝鮮半島など外国船の玄関口にもなっていて、ここで関税をかけた。美保関は出雲国の税関窓口だったのです。


出雲へは岬に沿って西へ、境港のせま~い水道を通らないといけない。その先の中海から左へ宍道湖に入ると、(前記事で紹介した)大寺薬師を経て出雲の中心に達します。

歴史の陰に地形あり。地の利を生かして、外洋との接点として機能した美保関は、今でいうと国際空港のようなもの。
北前船など国内貿易のみならず、朝鮮半島との交易の一大拠点でもありました。
(ちなみに後醍醐天皇が隠岐へ流されるときもここから出港しています)


かつての風情が残る青石畳通り

古代にさかのぼると、ここはなんといっても「国譲り」の舞台。

大国主命(オオクニヌシ)が、子である事代主神(コトシロヌシ)に国譲りの相談をしたところとされます。

この二神が天照大神(アマテラス)ひきいる「天津神(あまつかみ)」勢力と交渉をしたわけで、ここでも美保関は、外来勢力との交渉の場であったのですね。
その後、大国主命は出雲大社に鎮まり、美保神社には、奥様の美穂津姫命(ミホツヒメ)と子である事代主神が祀られます。
お父さんだけ、西の果てに単身赴任です(笑)。


比翼大社造」の本殿。画面手前が事代主神、奥が美穂津姫命。屋根の上の千木の形が異なる

このエピソードから、「出雲大社に行ったら美保神社にも両参り」と言われるようになりました。

音楽の神でもある美保神社、こんどは演奏奉納で訪れたい場所です。
(美保関関係者さま、ぜひ呼んでください!)


おまけの40秒動画を3つ挙げておきます。
ちょっとだけ、参拝した気分になれるかもですよ。


次回は、出雲松江の旅番外編です!


出雲仏像の旅4 -都会派?地方派?美保関の仏像-

2017年 7月 15日

出雲大社から東へ、松江の先の岬へきました。
ここが美保関。

立派な社殿の美保神社は、大国主命の御后・美穂津姫命(ミホツヒメ)が祀られていて、縁結びのご利益を求めて出雲大社と合わせてお参りする人が多いです。

また、ミホツヒメ様は、歌舞音曲の神様でもありまして、私もしっかりお参りしてきました。

神話の舞台として有名な美保関ですが、ここにもいます!仏像が!


存在感たっぷりの仏像群
 

訪れたのは仏谷寺(ぶっこくじ)。

収蔵庫を開けてもらうと、5体の仏像が並んでいます。

薬師如来、日光月光菩薩の三尊に加え、聖観音菩薩と虚空蔵菩薩。

ほとんど、前記事の大寺薬師と同じラインナップです(虚空蔵は仏谷寺のみ)。

今回は、短い動画をいくつか撮ってきましたので、ご覧いただきながらどうぞ。

どの像も、大寺薬師と近い平安前期のものだそうですが、
日光月光菩薩については細身で頭が小さく、地方風のスタイルです。
薬師如来もあわせて、「出雲様式」と呼ばれる独特の造形が見られます。具体的なポイントは動画をどうぞ。約50秒。



いっぽう、観音と虚空蔵の衣文のウネウネ感はまさに貞観様式。当時の都での流行りです。まさに平安トレンド。こちらも50秒動画にて。




都の最先端様式と、地域特有の出雲様式の両方が見られる。おもしろいですね。

きっと、都から派遣された仏師と、現地の仏師(日ごろ僧侶として働くのがたまに仏像造る)とが協力して造ったのではないでしょうか。
例によってこちらも記録が残っていないので、確証はないのですが、想像がふくらみます。


漁村だからでしょうか? 日光菩薩さん、なんだかお魚っぽいシルエット(失礼しました)
 


虚空蔵菩薩の濃厚な衣文線。平安前期ファンにはたまらない
 

さて、美保関は、今訪れるとのどかで小さな漁村に見えます。

そこに、なぜ都から最先端トレンドがもたらされたのか。

その昔、この地は国にとって大変重要な拠点だったらしいです。

ちょっとブラタモリ的な視点になってきますが、次回、そのへんご紹介しようと思います。


出雲仏像の旅3 -大寺薬師から見えるヤマト朝廷の”出雲包囲網”-

2017年 7月 8日

出雲大社から近い、大寺薬師は仏像の宝庫。

前記事の四天王のほか、薬師如来、日光&月光菩薩、2体の観音菩薩がいます。


薬師如来と菩薩たちがずらり


本尊の薬師如来はキリリとした表情が若々しいです。

膝あたりの衣文線にも特徴が

シャープで深い彫りの衣文線がくっきりみられることから、これも平安時代前期と目されます。
室生寺・弥勒堂の釈迦如来坐像にも通じる、エッジのたった衣文線です。

日光、月光菩薩は、すっきりした衣文のデザインですが、眼の感じがだいふ古風なんです。
平安期と奈良期のスタイルがまざっているようです。


日光菩薩。まぶたの膨らみだけみると天平風


さて、この仏像ができた時代はどんな時代だったのでしょうか。

まず、この大寺薬師の立派な薬師如来。
基本は病平癒の仏ではありますが、奈良の平城京や京都の平安京(前期)の朝廷にとっては「国家鎮護」のモニュメントでもあったのです。

たとえば、朝廷が東北で蝦夷征伐したときも、薬師如来を現地に祀りました。現在も福島や岩手に立派な薬師如来が残っています。

また、前記事で紹介した四天王。これも朝廷にとっての大事な国家鎮護の主役です。

たとえば、奈良の東大寺は正式名称を「金光明四天王護国之寺」といって、四天王の加護で国を護る寺といった意味合いです。

要するに、薬師如来も四天王も、都の朝廷の政治的影響力を示すものなんですね。

それをふまえてこの地を歩くと、当時の朝廷にとってここがどれだけ大事な場所だったのかと想像がふくらみます。

今は田んぼにサギが集まって、のどかな里の風景が続くだけなんですけどね。


さらに、この地には古くからいろいろあったようで……。

大寺の近くに古代からの遺跡が残っていて、復元公開されています。
弥生時代の四隅突出型墳墓もあって、なかなか見ごたえありました。動画でご覧ください。


青木遺跡。弥生から平安前期までの遺跡が復元されていました

この青木遺跡には、奈良~平安期とされる神社跡もありました。社殿は出雲というより伊勢系で、東を向いていたそう。
つまり、大寺の仏像と同じ時代の神社ですね。


神社建築と思われる掘立柱跡


この地の中心は、なんといっても出雲大社。大国主命が祀られています。
大国主命は、国土を創られたあと、天照大神に「国譲り」をして出雲に鎮まります。

その出雲大社から、さらに西北の岬まで行くと、有名な日御碕神社があり、ここに天照大神(伊勢神宮の祭神)が祀られた。それも平安前期(948年)のこと。

位置関係を整理すると、出雲大社から見て、西北には日御碕神社、東には、大寺薬師と青木遺跡の伊勢系の社殿があった。
時代はいずれも奈良~平安前期の頃。

この時期、出雲の大国主命を挟むようにして、天照系の神社と朝廷の息がかかった仏像が置かれたのです。
それはまるで、大国主命の魂を封じるかのよう……
その真の意味とは……?

というのが、実際に歩いて感じた印象なんですけど、文献などの実証はないので、あとは歴史学者の先生にまかせましょうね。
歴史ミステリーのひとつとして、こういう想像が楽しいのです。


きっと歴史の中で、良いことも悪いことも、祝い事も呪い事も、この地でいろいろあったのは確かでしょう。


さて、ここから山を越えれば日本海。昔はここが日本の玄関口みたいなもの。
その要となるのが美保関なのですが、それは次回記事でご紹介します。



大寺収蔵庫には、名前不明の神像もたくさん。興味が尽きません