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第5部 アダム・クーパーを作りたい! 第5回 平櫛田中の彫刻技法の功罪とは!?

こんにちは!一笑仏工房の中の人、あんどぅ☆ななせです( ^ω^ )
相変わらずアダム・クーパーを作りたい熱さめやらぬ日々を過ごしておりますが、なんだかクサクサすることが多い今日この頃…。
つまらないことに腹を立て、「くそぉおおっっ!!!なめやがってコンチクショウ…ッッ!!!」と投げやりになっておりました。
ま~よくあることですよ。この悔しさをバネに木を削るしか出来ないんすよ、私は。
今更プログラマに戻るったってJavaもC#もキレイに忘れちゃったもんね~(・∀・)アハ
あれだけ遺伝子に染み付くかと思うほどコードとにらめっこしていたのに、不思議なもんです。

あーーーいけませんいけません、こんな投げやりではいい作品なんて作れませんよ!
ちょっとリフレッシュしましょう!活っ!!
というわけで、わたくし行って参りました。
東京都小平市は一橋学園なる平櫛田中彫刻美術館へ!



入り口です。ホームページの写真のイメージほどド田舎にあるわけではなかった…

前回でしたっけ、わたくし「平櫛田中の鏡獅子にも匹敵するアダム・クーパーを作りたいのだぜぃ!」って無謀なことを言ったじゃないですか。

鏡獅子というのは、平櫛田中の代表作として有名な彫刻で、六代目尾上菊五郎をモデルにした、白いフサフサの髪と絢爛豪華な歌舞伎の衣装が特徴的な作品です。
今も国立劇場大劇場のロビーに展示されています。

で、私そう言えば鏡獅子の本物を見たことが無いな~、国立劇場に見に行こうかしらん。刺激を受ければこの投げやりな心に活が入るかも!
と思い、歌舞伎でも何でもいいから国立劇場のチケットを取ろうとしたんです。でもどうも合う日程が無くて。
仕方なく、平櫛田中彫刻美術館に来たところ…
い、いるじゃないっすか!鏡獅子!!!

え、どゆこと???



最寄駅の一橋学園駅にある看板は鏡獅子ですけど…代表作って意味だと思ってました…

一通りじっくり館内をまわってみて、わかりました。
私、いくつか誤解をしていたようです。
まず~

・鏡獅子はいくつもある!!
最終的に完成して国立劇場にある鏡獅子は、高さ2メートルぐらいある巨大なものですが、その試作として作った小さい鏡獅子が平櫛田中彫刻美術館に展示されているというわけです。
小さいと言っても2尺はある感じですけどね!
木彫彩色されたものの他に、石膏像もあります。
ちなみに、鏡獅子を作るために、まずモデルの六代目尾上菊五郎の裸の像を作ったのですが、その裸形像も石膏像と木彫像があります(木彫像は田中の故郷である井原市の美術館にあるようです)。
更に、尾上菊五郎の頭部だけのブロンズ像もあるのですが、ブロンズ像の場合はいくつも複製出来るので、これもおそらく沢山あるんだと思います。

・鏡獅子の衣装は彩色した木彫りである!!
 これ、ほんとすみません。私、鏡獅子が着ている衣装は本物の歌舞伎の衣装なんだと思っていました…!!
いやだって、鏡獅子を作るためにまず裸の像を作った、ということは知っていて、裸形像の写真も見たことがあったんですよ。
だから当然その裸の像が衣装を着ていると思うじゃないですかー!
あんなリアルな衣装が木彫りだなんて驚きです!

田中の後期の作品は木彫に彩色したものが多くて、私は正直あまり好みじゃないんですが…だって服の模様とかはリアルで綺麗だけど、肌色って気持ち悪いんですもん。
あの肌色と化粧したような顔つきを見るとどうしても中国の安っぽいマネキンみたいな感じがするんすよ…。
でも鏡獅子に関して言えば、彩色が非常にしっくり来る!
歌舞伎の白い肌と隈取りだから、肌色の気持ち悪さが無いためかもしれません。

それにしても。
どうして同じ像がいくつもあるのか…!?

ここで、平櫛田中が使っていた技法、「星取り法」が重要になって来ます。
「星取り法」というのは、古代ローマから西洋で行われて来た彫刻技法で、明治以降に米原雲海らによって日本の彫刻界でも使われるようになったそうですが。
どういう技法かと言うと、
・まず、粘土で作りたい像の原型を作ります。
・次に、粘土原型を型取りして、その型に石膏を流し込み、石膏像を作ります。
・出来上がった石膏像をもとに、「星取り機」というコンパスのような器具を使って、ある位置(点を打つ)で木材をどれぐらい彫ればいいのかを測り、彫っていきます。
・最終的には原型と同じ形の木彫像が出来る、
という手法なんです。
確かに、展示されている像にはいくつも黒い点が打ってあるものがあり、私最初「ひどい虫食いだな~」って思ったんですよ。
でも虫食いじゃなくて、星取り法の星だったんですね。

それにしても、正直…
めんどくさっ!!!
って思いませんでしたか!?

だって、粘土作って、石膏作って、それから木彫ですよ。何体同じもの作るねん!
せめて石膏の工程はスキップして、粘土から木彫でもいいんじゃないの!?

と思いましたが、粘土は衝撃ですぐ崩れてしまいますから、原型を長く保存したりブロンズ像の原型として応用したりするためにも石膏のほうが良いということなのかもしれません。

この星取り法…取り入れられた当時は、明治期の文明開化を思わせる、画期的な方法だったんですよね。
平櫛田中は芸大の前身である東京美術学校の講師も務めていて、積極的に星取り法を広めました。
西洋の手法を使えばどんなにリアルで複雑な形も木彫りに出来る!というわけ。
粘土の塑像さえしっかり作ってあれば、あとは機械的に木彫りに変換可能、伝統的な技術は必要無いし、誰が彫っても同じ結果になる。
これって、良いことのようにも見えますが、木彫の価値を下げることにもなってしまいますよね…。
結果、芸大から木彫科は無くなり、塑像科に吸収されてしまいました。
平櫛田中は木彫の大家でありながら木彫を廃れさせてしまったのかも…

変な話ですよね。
私の師匠は井波という富山県の彫刻の里で修行された方ですが、その素晴らしい伝統的な木彫の技術は、芸大という一見美術の主流とも思える流れとは全く交わらないんですから。
芸大で木彫が廃れようが関係なく、職人の世界は続いています。
職人の技術は「星取り法」に対して言うなら「直彫り」と言うのでしょうが…

ここで、ふと私気付きました。
私は井波側の人間だと思っていましたが…
あれ!?私が今やってる手法って、ほとんど星取り法じゃね!?

実際、アダム・クーパーもまずは粘土で原型を作って、それを測りながら木彫にして行こうと思っていたんですよ。
って言うか、私いつもそういう方法なんです!
星取り機は使わないですが、トースカンとサシガネで中心からの長さを原型と比べながら木彫りにしていきます。


こういう粘土から…


木彫りを作って…


その木彫りを原型にして型取り・複製して…


その複製を元にまた木彫りを作って…

原型を計測しながら、何体でも同じものを作れるんです。
そりゃまあ、手彫りですから顔つきとか細かい部分は個体差ありますけど…。

そうか、私がやっていることは星取り法のようなものなのか…
このままでいいのだろうか…???

でも、実は鏡獅子は星取り法が象徴するような西洋的なリアルな彫刻では無いんです。
衣装の複雑な動きは、リアルさだけでは行き詰まる部分があり、簡素化も追求したそうです。

星取り法 or 直彫り!とハッキリ2分出来るものではないのかもしれません。
私のアダム・クーパーも、
リアルな造形 + 直感的な彫り
を追求するべきなのかもしれません!!