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第4部 そうだ、終活しよっ♪ 第2回 お坊さんに自殺について聞いてみてわかったこと\(^o^)/
こんにちは!一笑仏工房の中の人、あんどぅ☆ななせです( ^ω^ )
前回はわたくしの終活の一環として、昔お世話になったのに勝手に自分から関係を絶ってしまったY.K.さんにFacebookで友達申請したものの、見事撃沈したところでしたぁ!
その後…
結論から言うと…連絡取れましたぁー!
わーぱちぱち。
どうやら芸能事務所の社長をやってらっしゃるようなので、ホームページから問い合わせメールを送ってみました。
それだけのことなのに、ものすごく勇気が要るんですね…(>_<)
「今更どう思われるんだろう」
「何の目的で連絡取って来たんだって疑われるかな!?」
「借金や仕事目当てと思われないように文面気をつけないと」
などなど…
何回も自分が書いた文章をチェックしてから送信。
そして…返信来ましたぁー!
でも…「じゃぁ会いましょうか」という話の途中でまた連絡途絶えました…orz
やっぱり…一度別れた人生はもう交わらないと言うか…
相手にしてみれば、私に会うメリットなんて全く無いわけですよ。
私は「一度会って謝りたいな」という思いだけなんですけど、相手はそんな過去の人間に会うほど暇じゃないよのさ…
ちょっと寂しいですが、でも「切れた縁を無理に繋げることは出来ないんだな!」ということは分かったので、それはそれで心の整理が付きました!
これも一つの終活ですね!
だいぶ心は折れましたが…他にも関係を焼き払ってしまって謝りたい人はたくさんいるので、元気が出て来たらまたチャレンジしてみたいと思います(^_^;)
さて。
今回は、そもそも「死」について自分としてはどう捉えているのか、遺された人に伝えるためにも少しまとめてみたいな~と思いましてん。
で、思い出したのが少し前の話になるんですが…そう、2019年2月5日のことなので、もう一年も前の話なんですね!
その日私は渋谷の東京カルチャーカルチャーで開催された、ボンズくらぶ presents 「ガチンコ法話ミッション」 ~法話と懇親会~ というお坊さんのイベントに参加したんです~。
そこで「仏教と自殺」について質問した体験を一年越しに振り返ってみたら、ちょっと当時とは違うものが見えて来たんです!
ボンズくらぶというのは京都の杉若惠亮さんというお坊さんが主宰している、宗派の垣根を超えたお坊さんの集まりで、月1回誰でも参加できるお坊さんと語る会を開催するなど、一般人とお坊さんとの出会いの場を広く提供しようと努力している団体、のようです。
(ホームページやFacebookを見た限りの情報ですが)
まぁイベントに参加した理由は、気まぐれで応募したチケットプレゼントが当たったからってだけなんですけどね(・∀・)
場所はお食事が出来るレストランバー。
お食事しながらステージ上のお坊さんたちのお話を聞くという(゚ω゚)Oh...
杉若さんはさすが京都の方で、軽快な関西弁トークは魅力たっぷり!
途中、アンケートに質問を書いて提出すると答えて頂けるということで、私はかねてからずーっと疑問に思っていた、仏教と自殺についての疑問をお坊さんにぶつけてみたんです。
質問内容は、こうでした。
「ずっと疑問に思っていてお坊さんに聞いてみたかったんですが、自殺についてです。
今は大丈夫なんですが、ずっと自殺願望があって、仏教では自殺をどう捉えるのかなと調べたことがあります。
ググると仏典の話が出て来て、お釈迦さんが自殺しようとしている女を見かけたとき、
『お前は愚かだからわからないだろうが、死ねばもっと重い軛を背負って生まれることになるんだよ』
というような話でした。誰だったかお坊さんの本で読んだんですけど、お釈迦さんは相手にとって良いことで、かつ真実しか口にしない、とありました。
つまりこの牛の軛の話は例え話としてではなく事実として話している、ということなのでしょうか。
私は神も仏もファンタジーも奇跡も信じませんので、死ねばそれまでと思っていますが、
もし本当だったらと思うと自殺するのが怖くなります。
例え話か事実かわかりようもありませんが、どう思いますか?」
ちょっとよくわからないかもしれませんが、「仏教 自殺」みたいなキーワードでググると、すぐに出てくる「仏典のお話」があるんですよね。
いくつかあるんですが、大体同じような内容で、以下のような話です。
「釈尊が托鉢の道中、大きな橋の上で女を見かけた。
辺りをはばかりながらたもとへ石を入れている。自殺の準備に違いない。
釈尊が女に優しくその訳を尋ねると、
『結婚していないのに男と付き合って妊娠し、捨てられてしまった。世間の目は冷たく死んだほうがましだと思われる。どうかこのまま死なせてください』と答えた。
釈尊は哀れに思って女にこんな話をした。
『愚かなそなたには例えをもって話そう。
ある所に、毎日荷物を満載した車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
牛は『なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか』と思い、
『この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』と決意した。
そして猛然と走って大きな石に車を打ち当て壊してしまった。
それを知った飼い主は、余程頑丈な車でなければまた壊されると思い、今度は鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、今更壊すこともできず深く後悔したが、後の祭りだった。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば苦しみから解放され楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
そなたはその後生の一大事を知らないのだ』
娘は自分の愚かな考えを改め釈尊の教えを聞いて幸せな生涯を生きたという。」
というお話なんですよね~。
「死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならない」というのは単なる例え話なのか、仏教的には真実なのか、「死と輪廻」の理解を深めるためにお坊さんの見解を聞きたかったんですが、返答はその時の私には飽き足らないものでした。
「自殺」というパワーワードに対する感傷的・感情的な部分しか印象に残らなくて、「例え話なのか真実なのかどう思うか」という部分は答えてもらえないな~と思ったんです。
でも、今回改めてその時の動画を見返してみて、「あれ?そんなこともないな!?」と気が付いたんです!
↓ここにイベントの動画が上がってますので良かったら見てみて下さい。1:34:10~辺りからがその質問コーナーです。
返答の中で東京ボンズくらぶの東賢性さんが、「仏典では自殺について良いも悪いも言ってない」とハッキリ言ってますね。
しかも、今になってこの牛の軛の話の出典て何の経典なんだろう?と調べてみると、全然出典が出てこないんです。
さらに調べていくと、hasunohaでも「牛の軛の話の出典は何なのか?」という質問が出ていました!
↓hasunoha「お釈迦さまが自殺をとめられた話について」
https://hasunoha.jp/questions/18611
結論は…「そんな話、仏典にはねーぞ!」でした!!(°Д°)
がーん…
た、確かに…その牛の軛の話を掲載しているサイトはみんな浄土真宗のサイトでした…パーリ経典の話ではない可能性が高い!!
しかも、hasunohaの回答で「たもとに石を入れているという表現や橋の上というのが江戸時代っぽい」という指摘は目から鱗でした。
確かに!!インドっぽくない!!!
江戸時代ではないにしても、親鸞の時代の作り話の可能性が大じゃないかーっ!
何で気づかなかったんだーorz
また別に、法話の中で東賢性さんがマインドフルネスに対して頭ごなしに「出たよその話」みたいな態度で「反対している」と言ったのもちょっと悪印象でした。
「マインドフルネスだって、仏教をアップデートしようと努力している人たちの成果じゃん!!なんでそんなに見下すのさ!!」
o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!
という思いで反発してしまったんですよね~!
(動画の1:10:30~辺りです)
そんなこんなでイベント参加直後はあまりボンズくらぶに良い印象が残らなかったんですが…
一年間寝かせた後に当時の動画を見返してみて、私の考えがまだまだ浅はかだったと気付きました!
一年の間に私の仏教知識も微妙に増えて、めっちゃ偉そうに聞こえるかもしれませんが「お釈迦さんは自殺が良いとか悪いとか判断したり批判したりするような人じゃないな」という傾向が分かって来たんです。
どんな話でも、お釈迦さんは限りなく優しい。
例えば、ある比丘が「自殺してから解脱したか」とか「解脱してから自殺したか」論争なんか、お釈迦さんにとってはどうでもいいと言うか、
そんなことより今生きている人と死んだ人が傷つかないことが大事!というポリシーで発言しているように思えるんです。
それを踏まえてボンズくらぶのお坊さんたちの話を聞き返してみると…なるほど私の質問自体がズレているんだよなぁ…と思わされます。
この無常の世界で「Aとは〇〇ですか?××ですか?」と聞いても答えは無いのよ…
少なくとも、このお坊さんたちは今生きている人たちのために心を尽くしているよね。
マインドフルネスについても、頭っから否定するのはどうかと思うけど、よく聞くと要は「自分しか考えていないマインドフルネスは間違っているし仏教じゃない」と言っているだけで。
つまり「マインドフルネスで自己実現しようとか自分のことばっかり考えるのは間違っている。利他心が無きゃマインドフルネスじゃない」と言っているのよ。
毎朝マインドフルネス的な瞑想をやっている身としては「いや、自分のことばっかり考えているわけじゃなくて、怒らない自分でいたいとか、心を進化させたいとか、それだけなんよ」と思いますけど、「利他心が大事」というのは全くもってそうだよね。
つまり~
私も「ボンズくらぶは○○だ」みたいな判断をしたり批判したりするのをやめたとき、違うものが見えて来たのよ~!
つ・ま・り。
「死は○○だ」「死んだ後は○○だ」みたいな議論って、しても仕方ないね。
というのが、私にとっての「死」の結論のようです(・∀・)
(続く)
前回はわたくしの終活の一環として、昔お世話になったのに勝手に自分から関係を絶ってしまったY.K.さんにFacebookで友達申請したものの、見事撃沈したところでしたぁ!
その後…
結論から言うと…連絡取れましたぁー!
わーぱちぱち。
どうやら芸能事務所の社長をやってらっしゃるようなので、ホームページから問い合わせメールを送ってみました。
それだけのことなのに、ものすごく勇気が要るんですね…(>_<)
「今更どう思われるんだろう」
「何の目的で連絡取って来たんだって疑われるかな!?」
「借金や仕事目当てと思われないように文面気をつけないと」
などなど…
何回も自分が書いた文章をチェックしてから送信。
そして…返信来ましたぁー!
でも…「じゃぁ会いましょうか」という話の途中でまた連絡途絶えました…orz
やっぱり…一度別れた人生はもう交わらないと言うか…
相手にしてみれば、私に会うメリットなんて全く無いわけですよ。
私は「一度会って謝りたいな」という思いだけなんですけど、相手はそんな過去の人間に会うほど暇じゃないよのさ…
ちょっと寂しいですが、でも「切れた縁を無理に繋げることは出来ないんだな!」ということは分かったので、それはそれで心の整理が付きました!
これも一つの終活ですね!
だいぶ心は折れましたが…他にも関係を焼き払ってしまって謝りたい人はたくさんいるので、元気が出て来たらまたチャレンジしてみたいと思います(^_^;)
さて。
今回は、そもそも「死」について自分としてはどう捉えているのか、遺された人に伝えるためにも少しまとめてみたいな~と思いましてん。
で、思い出したのが少し前の話になるんですが…そう、2019年2月5日のことなので、もう一年も前の話なんですね!
その日私は渋谷の東京カルチャーカルチャーで開催された、ボンズくらぶ presents 「ガチンコ法話ミッション」 ~法話と懇親会~ というお坊さんのイベントに参加したんです~。
そこで「仏教と自殺」について質問した体験を一年越しに振り返ってみたら、ちょっと当時とは違うものが見えて来たんです!
ボンズくらぶというのは京都の杉若惠亮さんというお坊さんが主宰している、宗派の垣根を超えたお坊さんの集まりで、月1回誰でも参加できるお坊さんと語る会を開催するなど、一般人とお坊さんとの出会いの場を広く提供しようと努力している団体、のようです。
(ホームページやFacebookを見た限りの情報ですが)
まぁイベントに参加した理由は、気まぐれで応募したチケットプレゼントが当たったからってだけなんですけどね(・∀・)
場所はお食事が出来るレストランバー。
お食事しながらステージ上のお坊さんたちのお話を聞くという(゚ω゚)Oh...
杉若さんはさすが京都の方で、軽快な関西弁トークは魅力たっぷり!
途中、アンケートに質問を書いて提出すると答えて頂けるということで、私はかねてからずーっと疑問に思っていた、仏教と自殺についての疑問をお坊さんにぶつけてみたんです。
質問内容は、こうでした。
「ずっと疑問に思っていてお坊さんに聞いてみたかったんですが、自殺についてです。
今は大丈夫なんですが、ずっと自殺願望があって、仏教では自殺をどう捉えるのかなと調べたことがあります。
ググると仏典の話が出て来て、お釈迦さんが自殺しようとしている女を見かけたとき、
『お前は愚かだからわからないだろうが、死ねばもっと重い軛を背負って生まれることになるんだよ』
というような話でした。誰だったかお坊さんの本で読んだんですけど、お釈迦さんは相手にとって良いことで、かつ真実しか口にしない、とありました。
つまりこの牛の軛の話は例え話としてではなく事実として話している、ということなのでしょうか。
私は神も仏もファンタジーも奇跡も信じませんので、死ねばそれまでと思っていますが、
もし本当だったらと思うと自殺するのが怖くなります。
例え話か事実かわかりようもありませんが、どう思いますか?」
ちょっとよくわからないかもしれませんが、「仏教 自殺」みたいなキーワードでググると、すぐに出てくる「仏典のお話」があるんですよね。
いくつかあるんですが、大体同じような内容で、以下のような話です。
「釈尊が托鉢の道中、大きな橋の上で女を見かけた。
辺りをはばかりながらたもとへ石を入れている。自殺の準備に違いない。
釈尊が女に優しくその訳を尋ねると、
『結婚していないのに男と付き合って妊娠し、捨てられてしまった。世間の目は冷たく死んだほうがましだと思われる。どうかこのまま死なせてください』と答えた。
釈尊は哀れに思って女にこんな話をした。
『愚かなそなたには例えをもって話そう。
ある所に、毎日荷物を満載した車を朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。
牛は『なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか』と思い、
『この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』と決意した。
そして猛然と走って大きな石に車を打ち当て壊してしまった。
それを知った飼い主は、余程頑丈な車でなければまた壊されると思い、今度は鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。
以前の何百倍も苦しむようになった牛は、今更壊すこともできず深く後悔したが、後の祭りだった。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば苦しみから解放され楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。
そなたはその後生の一大事を知らないのだ』
娘は自分の愚かな考えを改め釈尊の教えを聞いて幸せな生涯を生きたという。」
というお話なんですよね~。
「死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならない」というのは単なる例え話なのか、仏教的には真実なのか、「死と輪廻」の理解を深めるためにお坊さんの見解を聞きたかったんですが、返答はその時の私には飽き足らないものでした。
「自殺」というパワーワードに対する感傷的・感情的な部分しか印象に残らなくて、「例え話なのか真実なのかどう思うか」という部分は答えてもらえないな~と思ったんです。
でも、今回改めてその時の動画を見返してみて、「あれ?そんなこともないな!?」と気が付いたんです!
↓ここにイベントの動画が上がってますので良かったら見てみて下さい。1:34:10~辺りからがその質問コーナーです。
返答の中で東京ボンズくらぶの東賢性さんが、「仏典では自殺について良いも悪いも言ってない」とハッキリ言ってますね。
しかも、今になってこの牛の軛の話の出典て何の経典なんだろう?と調べてみると、全然出典が出てこないんです。
さらに調べていくと、hasunohaでも「牛の軛の話の出典は何なのか?」という質問が出ていました!
↓hasunoha「お釈迦さまが自殺をとめられた話について」
https://hasunoha.jp/questions/18611
結論は…「そんな話、仏典にはねーぞ!」でした!!(°Д°)
がーん…
た、確かに…その牛の軛の話を掲載しているサイトはみんな浄土真宗のサイトでした…パーリ経典の話ではない可能性が高い!!
しかも、hasunohaの回答で「たもとに石を入れているという表現や橋の上というのが江戸時代っぽい」という指摘は目から鱗でした。
確かに!!インドっぽくない!!!
江戸時代ではないにしても、親鸞の時代の作り話の可能性が大じゃないかーっ!
何で気づかなかったんだーorz
また別に、法話の中で東賢性さんがマインドフルネスに対して頭ごなしに「出たよその話」みたいな態度で「反対している」と言ったのもちょっと悪印象でした。
「マインドフルネスだって、仏教をアップデートしようと努力している人たちの成果じゃん!!なんでそんなに見下すのさ!!」
o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!
という思いで反発してしまったんですよね~!
(動画の1:10:30~辺りです)
そんなこんなでイベント参加直後はあまりボンズくらぶに良い印象が残らなかったんですが…
一年間寝かせた後に当時の動画を見返してみて、私の考えがまだまだ浅はかだったと気付きました!
一年の間に私の仏教知識も微妙に増えて、めっちゃ偉そうに聞こえるかもしれませんが「お釈迦さんは自殺が良いとか悪いとか判断したり批判したりするような人じゃないな」という傾向が分かって来たんです。
どんな話でも、お釈迦さんは限りなく優しい。
例えば、ある比丘が「自殺してから解脱したか」とか「解脱してから自殺したか」論争なんか、お釈迦さんにとってはどうでもいいと言うか、
そんなことより今生きている人と死んだ人が傷つかないことが大事!というポリシーで発言しているように思えるんです。
それを踏まえてボンズくらぶのお坊さんたちの話を聞き返してみると…なるほど私の質問自体がズレているんだよなぁ…と思わされます。
この無常の世界で「Aとは〇〇ですか?××ですか?」と聞いても答えは無いのよ…
少なくとも、このお坊さんたちは今生きている人たちのために心を尽くしているよね。
マインドフルネスについても、頭っから否定するのはどうかと思うけど、よく聞くと要は「自分しか考えていないマインドフルネスは間違っているし仏教じゃない」と言っているだけで。
つまり「マインドフルネスで自己実現しようとか自分のことばっかり考えるのは間違っている。利他心が無きゃマインドフルネスじゃない」と言っているのよ。
毎朝マインドフルネス的な瞑想をやっている身としては「いや、自分のことばっかり考えているわけじゃなくて、怒らない自分でいたいとか、心を進化させたいとか、それだけなんよ」と思いますけど、「利他心が大事」というのは全くもってそうだよね。
つまり~
私も「ボンズくらぶは○○だ」みたいな判断をしたり批判したりするのをやめたとき、違うものが見えて来たのよ~!
つ・ま・り。
「死は○○だ」「死んだ後は○○だ」みたいな議論って、しても仕方ないね。
というのが、私にとっての「死」の結論のようです(・∀・)
(続く)