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第一部 連載8回目  探求の罠(その2)


完全にさとってしまえば、もう二度と苦しい思いをすることはなくなるだろう。

 

そのためには、まずは「修行」が必要だ……!

 

 

 

そう考えた私は、禅宗のお寺の門を叩き、週に一度の坐禅会に参加することにしました。

 

本格的に坐禅に取り組むのは、それがはじめてでした。

 

 

 

お坊さんのガイダンスにしたがって、

 

足を組み、手を組み、背筋を伸ばして、視線は半畳先に落として……

 

ただ、ゆっくりと、自分の呼吸に集中して……

 

ひとーつ、ふたーつ、みーっつ……

 

無……

 

無……

 

無……

 

 

 

結論から言えば、私は、坐禅に「向いて」いました。

 

割とはじめの方から、「空っぽ」な境地に入り込むことができたのです。

 

 

 

最初は、そんな自分に非常に興奮しました。

 

やっぱり私は「さとり」に近い人間なんだ! と思ったのです(笑)。

 

 

 

きっと、日々、坐禅を組み続ければ、

 

階段を上るように「欲望」が消えていって、

 

それに従って「煩悩」も消えていって、

 

そう遠くない将来、一切の苦しみのない世界に行けるのだろう、と。

 

 

 

そんな風に、ある意味「無邪気」に信じていました。

 

自宅でも、もちろん、坐禅を組みました。

 

朝起きたら、布団の上で足を組み、印を結び、そのまま30分は坐りました。

 

それはあっという間に私の朝の習慣になりました。

 

歯を磨くのと同じように、ごく自然に坐禅に取り組んでいる私がいました。

 

 

 

苦痛はほとんど感じませんでした。

 

強いて言えば、たまに足がしびれて大変なことになるぐらい(笑)。

 

 

 

でも、そんな肉体的な痛みなんか気にしていられないほど、私は、ある意味「必死」だったのだと思います。

 

 

 

生きていく上での苦しみが消えるなら、なんでもやる!

 

そんな気持ちひとつで、私は、坐禅を続けました。

 

 

 

でも、ざんねんながら、坐禅によって私の苦しみが完全に「消える」ということは、ついに起こらなかったのです。

 

 

 

次回へ続きます!