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- 小出遥子のさとり探究記
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第二部 連載19回目 「自灯明」「法灯明」
みなさんは、今回のタイトルの二つのことばをご存知ですか?
お釈迦さまの最期のことばとされる「自灯明(じとうみょう)」と「法灯明(ほうとうみょう)」は、
それぞれ、
「よくととのえられた自己をともしびとして歩んでいきなさい」
「よくととのえられた法(ダルマ)をともしびとして歩んでいきなさい」
といったような意味になります。
法(ダルマ)というのは、「宇宙の真理」「宇宙の法則」のことです。
たとえば、「無常」だとか、「無我」だとか、そういうものですね。
ここで注目したいのは、お釈迦さまは、「法灯明」に先立って、「自灯明」の大切さを説かれたという事実。
「宇宙の真理」「宇宙の法則」を体感したいのなら、まずは「自己」を知らなくてはならない、ということです。
道元禅師もおっしゃっていますね。
「仏道をならふといふは、自己をならふなり」
って。
「自己」ということばの意味を難しく考える必要はありません。
まずは、いまの自分が自分だとおもっている「これ」。
「これ」に注目していくことが大事なんです。
「これ」に注目するというのは、つまり、
「いま、ここで、自分がなにをどう感じているのか」ということに、
ふわっと意識を向けるということです。
集中力は必要ありません。ふわっと、やさしく、見守る感じでOKです。
「これ」にずーーーっと注目していくと、あるとき、不思議なことが起こります。
いままで自分が自分だと思っていた自分(ややこしいですね!笑)が解体されて、
自他の区別がなくなっていくのです。
自分しかいない世界には、自分さえもいない。
同時に、すべてが、ある。
このことばの意味が、あたまを通さずとも、からだまるごとで理解されていきます。
そのとき、「無常」とか「無我」とかいったことばの意味も、また同時に、おのずから理解されていくのです。
「宇宙の真理」「宇宙の法則」を知るために、眉間にシワを寄せてお勉強をする必要はありません。
やるべきことは、「いま・ここ・自分」に気づいていくこと。
ただ、それだけです。
次回へ続きます!