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第二部 連載24回目 私の瞑想法



さとり「探求」を終え、さとり「探究」に進んだ私が最初にしたことは、

それまで毎日欠かさず続けていた坐禅、瞑想をやめることでした。

坐禅中、瞑想中に味わう世界観を、日常の中でもごく自然に体感していきたい!

そう願うようになったからです。



以来、手を組み、足を組み、目を閉じて……というタイプの 

いわゆる「瞑想」とは縁のない生活を送っている私ですが、

先日、不意に、とある事実に気づかされて、非常に驚愕しました。



私は、自分自身、瞑想とも思わず、非常に瞑想らしいことを、

日常生活の中で、ごく自然に「やっていた」のです。

この事実が発覚したときは、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに! 驚きました。



私が瞑想とも思わずにやっていた「非常に瞑想らしいこと」というのは、

「仏の目で、いまの自分を、ただ、見る」というもの。



「仏」(と便宜上呼ばれているなにか)の「透明な目」で、いまの自分を、他者として、ただ、見る。



ことばにすれば呆気ないほどシンプルな、この瞑想というか、ワークというか……を、

私は、「やっている」感覚を一切持たず、ごくごく自然に「やっていた」のです。

これまでずっと「やっていた」し、いま、この瞬間も「やって」います。



それに気づいたとき、「ああ、なるほど……」と、いろんなことに合点がいきました。



私という人間のベースに、どーんと横たわっている、このどっしりとした「大丈夫感」は、

自分はいつだって「仏」に見守られている、という「安心感」から生まれたものだったのだな、ということ。

この「仏」が「私」から離れることはぜったいにないのだということ。

「仏」と「私」は、ほんとうに「ひとつ」なのだということ。



これは、なにも特別な話ではありません。

「仏」の透明な目は、いまこの瞬間も、「あなた」とともにあるのです。

あなたがそれに気づいていても、気づいていなくても。



「仏」の透明な目で、いまの自分を、ただ、見る。



気がついたときに、ぜひ、やってみてくださいね。


★ちょっとお知らせ
 毎朝6時からツイキャスで「ラジオ瞑想」という番組を配信しています。
 今回書いた、瞑想とも呼べない瞑想(「Aメソッド」と名付けました)を、 
 毎回100名ほどの参加者さんと、ゆったり、のんびり、たのしんでいます。
 登録不要、無料でお聞きいただけます。ぜひ、お気軽にご参加くださいね。

  小出遥子の「ラジオ瞑想」
  毎朝6:00-6:30
  https://ssl.twitcasting.tv/haruko_koide



次回へ続きます!