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ミロのヴィーナスから薬師寺菩薩へ 後編

前記事で、ミロのヴィーナスと薬師寺・日光月光菩薩を出して、
「コントラポスト」と「トリバンガ」を紹介しました。


トリバンガのスタイルを踏襲:日光&月光菩薩(イスム仏像)

両者のちがいって、何なんでしょうか? それとも要は同じことなんでしょうか?
そのへんは調べても、なかなか明確な答えは出てきません。
グルメと同じで、「洋モノ」「和モノ」の区別は存在しますが、その境界線はなかなかむずかしい。

ちなみに、日本の仏像はもちろん日本美術の範疇に入りますが、薬師寺など古代の仏像は海の向こうの美術をマネしたわけで、言ってみりゃもうほとんど「洋モノ」なんですよね。

たとえて言うなら、日本人が作ったパスタみたいなもので、しかも薬師寺像は、本場イタリアに劣らない上等のパスタ、なんとかのタリアテッレとかそういうやつですね。
これが、平安時代くらいになると、ナポリタンスパゲッティみたいに日本化していく。

私はワインが好きな人でして、古い仏像に惹かれるのはそのせいでしょうか。
あ~イスムの仏像を見ながら、ワインが飲みたい・・・。

ま、それはさておき……、

「コントラポスト」と「トリバンガ」の問題です。
まだ仮説ではありますが、私が個人的に思いますのは、両者はやはり同じものではなく、コンセプトが違うのではないでしょうか。

コントラポストは、片足に重心をかけたポーズとのことでして、わりとくつろいだ姿勢と言いますか、ごく自然な姿勢に思えます。
それを基本姿勢にすると、人物(神)の内面の感情がうまく表現されるのだそうです。


古典的なコントラポスト:ミロのヴィーナス

いっぽう、トリバンガは、動きを表現しているのではないかと。
ウォーキング・ブッダ(前記事参照)は歩き出しそうだし、菩薩たちは踊っているようです。インドや東南アジアの民俗舞踊にその源流が見られるようです。
なにしろ、こっちに向かってくるような感じがします。

つまり、観る者と彫刻との間の、意識の方向がちがいます。

トリバンガの仏像は、観ているこっちに向かって何かを働きかけてくれる、「積極性」みたいなものを感じます。
コントラポストのヴィーナスは、こっちのほうがヴィーナスの内面に引き込まれる。
ヴィーナス本人は遠くを見てこちらのことを気にかけない。「こっちに来たきゃくれば?」くらいの感じ(笑)。

そんなわけで、やはりコントラポストとトリバンガは同じようでちがうのではと思いました。

きっと、コントラポストのノウハウは、綿々と引き継がれてインドに渡ったのかもしれません。しかし、根底にあるコンセプト、つまり意識の働く方向は、民族ごとの精神性や、宗教観もろもろによって異なっていったのではないでしょうか。

以上は、あくまで私の個人的な印象にすぎませんので、ほんの参考まで。
今後また何かわかったらレポートしたいと思います。