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玉眼からみる「運慶はアーティストかデザイナーか」

前回に続いて、都心に開館した「半蔵門ミュージアム」でのことです。

運慶作とされる大日如来がメインで、胎内納入品から玉眼の話になりました。



大日如来を眺める水野敬三郎館長

目に水晶をはめ込んで、リアルさを演出する「玉眼」の手法ですが、
運慶の場合、如来と菩薩の像はなるべく彫眼で造ったようなんですね。
国宝指定された浄楽寺の例だと、
・阿弥陀如来と観音、勢至菩薩は彫眼。
・不動明王と毘沙門天は玉眼
というように、使い分けています。

如来の像で玉眼を使うのは、
・運慶の「デビュー作」と言われる円成寺の大日如来
・今回紹介する真如苑所蔵の大日如来
がよく知られます。

大日如来は特殊な如来だから玉眼? と思いきや、もうひとつの光得寺所蔵の大日如来は彫眼です。

なぜ真如苑の像は玉眼なんでしょうか?

この素朴なギモンは仏像マニアの飲み会でも運慶トークの鉄板で、
「運慶は如来は彫眼なんだよね~ でも大日は玉眼なんだよね~」
という話題で盛り上がります。
※もしマニアの方と飲み会するときはここ押さえておくといいです(笑)

そこで、館長の水野敬三郎さんにお尋ねしてみました。

水野敬三郎先生といえば、仏像研究者の大ベテラン、というかもう神の域に達していらっしゃる大師匠です。
運慶だけでなく仏像史全体に精通精通されており、私も水野先生の著書『カラー版 日本仏像史』などよく勉強させていただきました。

「師匠、この大日如来が玉眼の理由は何なんでしょう?」

すると水野師匠、いや水野館長、結論から言うと「はっきりした理由はよく分かっていないんです」とのこと。

さらに「自分の想像ですが…」と前振りした上で「発注する側の意向もあると思います」
ともおしゃいました。

この像を発注したのは栃木の武士(足利氏)です。
時は平安時代。歴史が進むにつれて、武士階級は新興勢力としてのし上がります。
お金もあることだし、平たく言えば見栄を張りたいということで、運慶に”玉眼使ってよ”と指示したんじゃないか--

というのが、水野館長のご意見でした。

虚栄と経済的事情、ということもあるかもしれませんね。人間のやること、いつの時代も変わりません。

確かに当時の武士は、貴族の従属者という立場を卒業して、人の上に立てる人物であろうとし、仏教を深く勉強していたそうです。
源頼朝なんかは神仏に対して非常に敬虔で知識も深かったそう。

玉眼の件は諸説あると思いますが、ともかく仏像造りは、職人である仏師本人よりも、クライアント(=発願者)の意向が大きく影響するということでした。

作家本人の意向がダイレクトに出る近現代美術と異なるのは、こういう点ですね。
仏像造りは公共プロジェクトみたいなもので、発願者のコンセプトに合わせて、いろんな人が関わってできるのでした。
その現場に運慶などの仏師がいたわけで、言ってみれば仏師はアーティストというより、デザイナー兼エンジニア、という立場に近いのではないかと思います(晩年の運慶は巨匠アーティストとして腕をふるいますが、この時点では若かった)。

仏像を観るときは、発願者の思いを考えてみると、いろんな想像が広がりますよ。


静謐な雰囲気の展示室


【半蔵門ミュージアム】
https://www.hanzomonmuseum.jp