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馬子が古墳にいる理由

こちら新刊著書『仏像の光と闇』の制作は最終段階。表紙の帯や末尾の謝辞など調整したら校了……あとはトラブルがないことを祈るという段階で、もう最後は祈るしかないんですよね。

そんなわけで、前回記事の”仏像クイズ”いかがでしたか?
見てない人は今すぐ前回記事をチェック。

問題は、

「蘇我馬子はお寺を作ったのに、なんでお墓は石舞台古墳なの?」

というものでした。


蘇我馬子の墓という説がある石舞台古墳

日本最初の寺院「法興寺(飛鳥寺)」を建てた蘇我馬子は、海外モノの文化が大好き。それが、死んだあとは旧来の古墳に眠っているという話(諸説あり)。しかも古墳は飛鳥寺からちょっと離れた位置にある。

ぼくが飛鳥の歴史ミステリーに惹かれていた子供の頃、「なんでお寺にお墓が無いの?」と単純に素朴な疑問をもっていました。

ここをお読みのみなさんは、この疑問に答えられますか?
チコちゃんに叱られるじゃないけど、知らずに人生送ってきた人も多いんじゃないでしょうか。

はい、答えは~……

「昔のお寺は、お墓がなかったから~!」

ということですね。単純な話でした。

現代の感覚だと、お寺といえば墓地があるのがふつうと思いがちですが、これは近世以降からのことだそう。現代でも、田舎の里では墓地が寺の敷地ではなく村落のはずれにあったりしますしね。
ちなみに埋葬方法は、長い間土葬が主流で、誰もが火葬されるようになったのは大正期頃という話を聞いたことがあります。わりと最近ですね(火葬は天皇や仏教関係者など特別な人)。
そのへんは諸説あるかもですが、少なくとも、古代の寺院は、死んだ人を埋葬するなんてもってのほかだったようです。

というのも、お寺というのは聖域で、とくに塔や金堂がある中心部は、禁足地でした。
たとえば、伊勢神宮や出雲大社で、本殿の敷地にはよっぽどでないと入れない。あの感覚がお寺にもあったのでした。

法隆寺や四天王寺といった古代寺院は回廊がありますけど、あの回廊は「ここから中に入っちゃダメ」という境界でもありました。
今は回廊内はおろか堂内まで入れちゃいますけどね。
日本最初の寺院 ・飛鳥寺もそういうコンセプトだったわけです。

いっぽう、日本人には昔も今も「穢れ(ケガレ)」の意識が根強くあります。
なかでも死というのは最上級の穢れにあたるので、聖域に絶対近づけてはいけないものです。


石舞台古墳の内部にて、ワタクシが解説中

そう考えると、お墓が寺院から離れた場所にあったのも、納得ですね。
(後の時代に八角円堂など菩提を弔う施設はできたが、現代みたいな墓地はない)

お寺って古くからあるけど、その様相は時代によってだいぶ変わってきたんだな~というお話でした。

調子にのって、もうひとつ仏像クイズを出していいですか。

問題です!

「毘沙門天と韋駄天、どっちが偉い?」

七福神としても有名な毘沙門天と、NHK大河ドラマのタイトルにもなっている「いだてん」。
どちらも仏像の分類では天部にあてはまりますが、その立場はだいぶちがうようですよ。


飛鳥寺の本尊”飛鳥大仏”。日本の仏像はここから始まった

毎週火曜、お昼ごろに更新。ランチでもしながらチェックしてください。

(参考)
飛鳥、蘇我馬子と石舞台の「素朴な疑問」を歌った仏像ソング
「馬子と石舞台」


---おしらせ---

本コラム著者・宮澤やすみの短期講座

早稲田大学エクステンションセンター中野校にて
(社会人向け短期講座です)

「光と闇の神仏史」
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/44468/