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- 33年に一度の開帳!城崎温泉の秘仏に逢う -その3-
33年に一度の開帳!城崎温泉の秘仏に逢う -その3-
”忽然と、この兵庫県日本海側の城崎だけ鉈彫り仏が存在している不思議。
なぜこの地にあるのか、なぜ古い仏像なのに鉈彫り仏なのか--”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは、クリスマスということで都内の教会の「オルガンコンサート」に行ったら結構本格的なミサで、聖歌とか歌ってきた宮澤やすみです。今年は”にわか”が流行語になり、おおっぴらに”にわか行動”がやりやすくなってありがたい限りです。
そんな中、3週にわたってお届けした城崎温泉シリーズ連載最終回です。
兵庫県の日本海側・但馬の国の城崎温泉。温泉寺の秘仏本尊の撮影許可をいただき、特別に掲載しています。
前回は、この像の製作年代が奈良時代(天平)か平安初期か・・・という話でした。
秘仏本尊十一面観音菩薩。五色の紐が括り付けられ、その先は…、記事下をご覧あれ
そしてこの像でもっとも重要な特徴が、「鉈彫り仏」であること。
鉈彫りといっても、実際はノミの彫り跡のことです。頭髪部分から顔、胸、衣にも細かい彫り跡がみられます。
こうした仏像を「鉈彫り仏」と呼ぶのですが、このかたちは関東や東北地方でよくみられるもの。代表作は神奈川県の弘明寺十一面観音や、岩手県の藤里毘沙門天など。
それが、この兵庫県の城崎温泉にあるとは! これが一番のおどろきでした。
同時にどうも解せない問題もあります。
というのは、ちょっと専門的な話になりますが、鉈彫り仏が造られるようになったのは、早くても10世紀後半なのだそうで、そうすると前回書いたように、この本尊の制作が天平期(8世紀)までさかのぼる、ということはあり得ないです。
地域的にも、関東、東北での作例がほとんどなのに、忽然と、この兵庫県日本海側の城崎だけ鉈彫り仏が存在している不思議。
なぜこの地にあるのか、なぜ古い仏像なのに鉈彫り仏なのか、まったくわかっていません。
頭髪、冠、肩のあたりも彫り跡が見える
ここから先は、仏像ファンとしてのロマンあふれる推測になるのですが、ひとつ気になる点がありました。
それが、奈良の長谷寺信仰とのつながりでした。
温泉寺の伝承では、この本尊はもともと奈良の長谷寺の、あの大きな観音像と同木で造られた、とされます。
「大和と鎌倉の長谷寺の観音像と同木同作で、三躯のうち最も”木の先”の部分から造られたこと”から、城崎(きのさき)の地名の由来にもなっています(温泉寺パンフより)。
しかも、未完成のまま捨てられたのが、城崎に流れ着いたという。それをこの地で完成させたという伝承です。
奈良の長谷寺と同木という伝承は、たしかに鎌倉にもあります。
じつは、東京都内の長谷寺(ちょうこくじ)にも、同じような伝承があって、どうも長谷寺観音信仰の高まりでそういう話が各地に流布したようです。
ともかく、
「あの長谷寺と同じ木なのだ」
ということが、重要なんですね。木そのものに特別な霊験があるということ。
ここで、もういちど鉈彫りの話に戻りますが、鉈彫り仏の意味合いとは、
「神や仏が宿った霊木が、具体的な仏の姿に変化する様を表現している」という説が一般的です。
こういうのを「霊木化現仏(れいぼくけげんぶつ)」といいます。
温泉寺の観音像は、鉈彫り仕上げだし、彩色がなく木目があらわ。これは、仏像を造る材木への信仰(霊木信仰)があるからです。それが仏像に化現するからありがたやとなる。
そんな鉈彫りの観音像に、「長谷寺同木」伝承が付くのもうなずけますね。
細かい彫り跡は頭部と肩口に多く刻まれている。なにを意味するのか……
さらに、鉈彫り仏は、昔はただの未完成品と言われていた時代もあるんだそうで、そうすると伝承の「未完成のまま流れ着いた」という話ともぴったりリンクします。
ぴったりすぎて、逆にあやしいですね(笑)
これ、仏像か長谷寺伝承か、どちらかがどちらかに寄せていったんじゃないでしょうか。
この結びつきを次のように考えると、この仏像がいつごろ造られたのかがおぼろげに見えてきます。
仮説1.
長谷寺伝承譚に寄せるように、後世の人がノミ跡を彫りつけたのか(昔は仏像は文化財ではありませんから、信仰の移り変わりに合わせて改変することもよくある話です)。
仮説2.
もともと鉈彫り仏だったので、後世に長谷寺伝承が付けられたのか。
すると、観音像の制作時期は、
1の場合、天平や平安前期(8~9世紀)にさかのぼる可能性もあるし、
2の場合、古くても平安中期(10世紀)くらいになるし。
それとも、
長谷寺の話がかなり古くからあったのか(いや、そんな古くは遡れないはず)、
それとも、
城崎温泉寺の観音像こそが、霊木化現の鉈彫り仏の発祥になるのか…(いや、それは飛躍しすぎか)。
推測がどんどん広がっちゃって、ロマンあふれるのは結構ですが、おそらく1か2どちらかの線が妥当なんじゃないでしょうか。
詳細な調査をしたわけじゃないし、よそ者の一ファンの浅はかな考えなので、何が正しいとかは結論付けられません。
城崎温泉守護の観音として、地元の人に篤く崇敬されている存在であることが何より大事です。
筆者のような仏像+歴史ファンにとっては、温泉寺の本尊がいつ造られたのか、考えをめぐらせるのが楽しいもので、夜も寝られないというわけでございます。
仏像の歴史を考えると、信仰と、技術と、政治と、経済と、地理と、いろんな要素が複雑に絡んで、むずかしいけど、楽しい世界にハマります。
ここを読んでいるみなさんも、きっと自分なりの仏像の楽しみ方があるでしょう。
令和二年も、マナーを守って仏像めぐり大いに楽しんでくださいね。
本尊に括り付けられた紐は、ふもとの山門まで伸びていて、山に登らずとも結縁できる
※執筆にあたり『特別展 仏像~一木にこめられた祈り~』(東京国立博物館、読売新聞東京本社文化事業部 編)を参考にしました。
温泉寺WEBサイト
http://www.kinosaki-onsenji.jp/
---おしらせ---
■本コラム著者・宮澤やすみ登壇
社会人講座
【カミとホトケで読み解く日本史の闇】
古代〜中世、神仏の光と闇
2020年1月15日(水)~全4回
19:00~20:30
早稲田大学エクステンションセンター中野校
歴史の背後に神仏あり。仏像や寺社がなぜ必要とされたのか? 日本の仏と神を、古代国家運営に欠かせない呪術装置ととらえ、古代〜中世の時代観を深読みします。
詳細はWEBサイト
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/48428/
■本コラム筆者・宮澤やすみ出演
2020年1月19日(日)18:30開演
【新春カールモール寄席】
新宿の老舗ライブサロンで、漫談に弾き語りに活弁、小唄!
詳細:
http://karlmohl.net/event-schedule/
なぜこの地にあるのか、なぜ古い仏像なのに鉈彫り仏なのか--”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは、クリスマスということで都内の教会の「オルガンコンサート」に行ったら結構本格的なミサで、聖歌とか歌ってきた宮澤やすみです。今年は”にわか”が流行語になり、おおっぴらに”にわか行動”がやりやすくなってありがたい限りです。
そんな中、3週にわたってお届けした城崎温泉シリーズ連載最終回です。
兵庫県の日本海側・但馬の国の城崎温泉。温泉寺の秘仏本尊の撮影許可をいただき、特別に掲載しています。
前回は、この像の製作年代が奈良時代(天平)か平安初期か・・・という話でした。
秘仏本尊十一面観音菩薩。五色の紐が括り付けられ、その先は…、記事下をご覧あれ
そしてこの像でもっとも重要な特徴が、「鉈彫り仏」であること。
鉈彫りといっても、実際はノミの彫り跡のことです。頭髪部分から顔、胸、衣にも細かい彫り跡がみられます。
こうした仏像を「鉈彫り仏」と呼ぶのですが、このかたちは関東や東北地方でよくみられるもの。代表作は神奈川県の弘明寺十一面観音や、岩手県の藤里毘沙門天など。
それが、この兵庫県の城崎温泉にあるとは! これが一番のおどろきでした。
同時にどうも解せない問題もあります。
というのは、ちょっと専門的な話になりますが、鉈彫り仏が造られるようになったのは、早くても10世紀後半なのだそうで、そうすると前回書いたように、この本尊の制作が天平期(8世紀)までさかのぼる、ということはあり得ないです。
地域的にも、関東、東北での作例がほとんどなのに、忽然と、この兵庫県日本海側の城崎だけ鉈彫り仏が存在している不思議。
なぜこの地にあるのか、なぜ古い仏像なのに鉈彫り仏なのか、まったくわかっていません。
頭髪、冠、肩のあたりも彫り跡が見える
ここから先は、仏像ファンとしてのロマンあふれる推測になるのですが、ひとつ気になる点がありました。
それが、奈良の長谷寺信仰とのつながりでした。
温泉寺の伝承では、この本尊はもともと奈良の長谷寺の、あの大きな観音像と同木で造られた、とされます。
「大和と鎌倉の長谷寺の観音像と同木同作で、三躯のうち最も”木の先”の部分から造られたこと”から、城崎(きのさき)の地名の由来にもなっています(温泉寺パンフより)。
しかも、未完成のまま捨てられたのが、城崎に流れ着いたという。それをこの地で完成させたという伝承です。
奈良の長谷寺と同木という伝承は、たしかに鎌倉にもあります。
じつは、東京都内の長谷寺(ちょうこくじ)にも、同じような伝承があって、どうも長谷寺観音信仰の高まりでそういう話が各地に流布したようです。
ともかく、
「あの長谷寺と同じ木なのだ」
ということが、重要なんですね。木そのものに特別な霊験があるということ。
ここで、もういちど鉈彫りの話に戻りますが、鉈彫り仏の意味合いとは、
「神や仏が宿った霊木が、具体的な仏の姿に変化する様を表現している」という説が一般的です。
こういうのを「霊木化現仏(れいぼくけげんぶつ)」といいます。
温泉寺の観音像は、鉈彫り仕上げだし、彩色がなく木目があらわ。これは、仏像を造る材木への信仰(霊木信仰)があるからです。それが仏像に化現するからありがたやとなる。
そんな鉈彫りの観音像に、「長谷寺同木」伝承が付くのもうなずけますね。
細かい彫り跡は頭部と肩口に多く刻まれている。なにを意味するのか……
さらに、鉈彫り仏は、昔はただの未完成品と言われていた時代もあるんだそうで、そうすると伝承の「未完成のまま流れ着いた」という話ともぴったりリンクします。
ぴったりすぎて、逆にあやしいですね(笑)
これ、仏像か長谷寺伝承か、どちらかがどちらかに寄せていったんじゃないでしょうか。
この結びつきを次のように考えると、この仏像がいつごろ造られたのかがおぼろげに見えてきます。
仮説1.
長谷寺伝承譚に寄せるように、後世の人がノミ跡を彫りつけたのか(昔は仏像は文化財ではありませんから、信仰の移り変わりに合わせて改変することもよくある話です)。
仮説2.
もともと鉈彫り仏だったので、後世に長谷寺伝承が付けられたのか。
すると、観音像の制作時期は、
1の場合、天平や平安前期(8~9世紀)にさかのぼる可能性もあるし、
2の場合、古くても平安中期(10世紀)くらいになるし。
それとも、
長谷寺の話がかなり古くからあったのか(いや、そんな古くは遡れないはず)、
それとも、
城崎温泉寺の観音像こそが、霊木化現の鉈彫り仏の発祥になるのか…(いや、それは飛躍しすぎか)。
推測がどんどん広がっちゃって、ロマンあふれるのは結構ですが、おそらく1か2どちらかの線が妥当なんじゃないでしょうか。
詳細な調査をしたわけじゃないし、よそ者の一ファンの浅はかな考えなので、何が正しいとかは結論付けられません。
城崎温泉守護の観音として、地元の人に篤く崇敬されている存在であることが何より大事です。
筆者のような仏像+歴史ファンにとっては、温泉寺の本尊がいつ造られたのか、考えをめぐらせるのが楽しいもので、夜も寝られないというわけでございます。
仏像の歴史を考えると、信仰と、技術と、政治と、経済と、地理と、いろんな要素が複雑に絡んで、むずかしいけど、楽しい世界にハマります。
ここを読んでいるみなさんも、きっと自分なりの仏像の楽しみ方があるでしょう。
令和二年も、マナーを守って仏像めぐり大いに楽しんでくださいね。
本尊に括り付けられた紐は、ふもとの山門まで伸びていて、山に登らずとも結縁できる
※執筆にあたり『特別展 仏像~一木にこめられた祈り~』(東京国立博物館、読売新聞東京本社文化事業部 編)を参考にしました。
温泉寺WEBサイト
http://www.kinosaki-onsenji.jp/
---おしらせ---
■本コラム著者・宮澤やすみ登壇
社会人講座
【カミとホトケで読み解く日本史の闇】
古代〜中世、神仏の光と闇
2020年1月15日(水)~全4回
19:00~20:30
早稲田大学エクステンションセンター中野校
歴史の背後に神仏あり。仏像や寺社がなぜ必要とされたのか? 日本の仏と神を、古代国家運営に欠かせない呪術装置ととらえ、古代〜中世の時代観を深読みします。
詳細はWEBサイト
https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/48428/
■本コラム筆者・宮澤やすみ出演
2020年1月19日(日)18:30開演
【新春カールモール寄席】
新宿の老舗ライブサロンで、漫談に弾き語りに活弁、小唄!
詳細:
http://karlmohl.net/event-schedule/