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進化のための密教”Changes”-石山寺・如意輪観音の旅 その7

”こうした時代背景を想像すると、お寺で働く人たちの生き残りをかけた奮闘が、見えてくるのでございます……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。

こんにちは。ここ数回は、滋賀・石山寺をテーマにブツブツ書いております。

※出かけたのは6月、ちょうど緊急事態が解除され状況が収まりかけていたタイミングでのこと。現地に迷惑を掛けないよう、充分に感染対策しての旅でした。

前回は、石山寺の如意輪観音に関わるキーパーソン・淳祐内供(しゅんにゅうないく)を紹介しました。

石山寺の本堂が最初に建てられたのは8世紀奈良時代のこと。このときの記録には「観世音菩薩」とあるのみで、「如意輪」の名称が出てきません。


現在の本堂。この部分は再建といっても平安時代。現本尊もこの時にできたか

前回記事のとおり、「如意輪」の記述はそこから約200年後、10世紀平安時代の『三宝絵』が初めてで、その少し前まで石山寺の座主を務めていたのが、淳祐内供という方でした。

淳祐さんは醍醐寺の出身。醍醐寺は、空海の真言密教の正統を引き継ぐ密教道場で、とくに淳祐さんは如意輪観音の信仰が深く、如意輪観音の六本の腕を六道の救いにあてはめて説法したそうです。


御影堂内。手前が淳祐内供の像。室町時代作の塑像

こうしたエピソードは、早稲田大学大学院文学研究科(当時)清水紀枝さんによる『院政期真言密教をめぐる如意輪観音の造像と信仰』という素晴らしい博士論文をたまたま見つけまして、これ以降参考にさせていただいています。

この論文によると、平安時代なかばごろの、仏教の流行が見えてきます。

なんといっても、平安時代は空海プロデュース「密教」大ブームの時代。
奈良ゆかりの古寺は時代遅れになる、そんな時代でした。
石山寺も、奈良時代の古い流れを汲むお寺でしたから、奈良勢力の範疇に入ります。

当時イケイケの状態だった(妄想です)醍醐寺の方々は、密教をもっと広めたい。
一方、密教を取り入れて、時代に追いつきたい奈良旧仏教勢力。

双方の思惑が合致するのも当然のこと。きっと上層部で取引があったんでしょう(スミマセン「半沢直樹」風の会議が脳裏に妄想されます)、
石山寺に醍醐寺の勢力が入り、真言密教のお寺として新たなスタートを切った、ととれるのでした。


学術的には、石山寺がいつからどのように真言密教のお寺になっていったのか、詳細は不明です。エビデンスというやつはありません。
ただ、こうした時代背景を想像すると、まさに「半沢直樹」みたいなもので、お寺という”企業”で働く人たちの生き残りをかけた奮闘が、見えてくるのでございます。


本堂の広縁で、想像をめぐらせる

たとえ偉大な存在でも、権威にあぐらをかいていては廃れてしまう。
生き残っていくには、その時その時の人たちが知恵をふり絞って、奔走し、デヴィッド・ボウイの音楽みたいに常に変化していくことが必要なんだ思いました。

それではお聴きください。デヴィッド・ボウイで「チェンジズ」


すみません、急にラジオDJみたいになってしまいましたが、ともかく、
こうしたなかで、石山寺の「観音」は「如意輪観音」になっていく。じつは、そのきっかけになると思われる、面白い指摘が、先ほどの清水紀枝氏の論文にあったのです。

醍醐寺と石山寺を繋ぐ、「ファクターX」とは? 次回ご期待ください!

※過去記事は、「仏像ブツブツ」トップページに並んでいます
http://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/


(参考)
大本山 石山寺公式ホームページ
https://www.ishiyamadera.or.jp



●おしらせ

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アルバムジャケットは飛鳥・橘寺の風景。手前の礎石は石山寺の石を使った川原寺の復元

宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m