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東へ西へ、人気仏像の真相? 薬師&阿弥陀
”興福寺が隆盛した奈良時代は、「阿弥陀=西」というイメージは無かったんでしょうか?……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。地震+低気圧+花粉症でどよーんとなっている宮澤やすみです。本番前なのにこれじゃいかん。
さて、前回は南と北の方位に関するお話でした。
せっかくなので、今回は東と西もおさらいしておきましょう。
仏像ファンならもうよくご存じ、薬師如来と阿弥陀如来がその代表選手、でしょうか。
奈良の国宝仏をモデルにした、イスム薬師如来
薬師如来は、薬師瑠璃光浄土というところにいるとされ、その場所は我々の世界から東の果てにあるといいます。
なんといっても、病平癒のご利益が一番知られますが、衣食のご利益もあって、現世利益の「くらしのパートナー」であります。
阿弥陀如来は、極楽浄土にいるとされ、その場所は西方とされます。
阿弥陀さんは来世への希望をつなぐ仏さま。末法の世に住む我々も救ってくれて(その間に善行を積むとか積まなくていいとかなんかいろいろ解釈ある)、明るい未来を約束する仏ともいえるでしょう(この「未来」というワードがあとで効いてきます)。
薬師さんと阿弥陀さんを置くお寺で有名なところというと、浄瑠璃寺がまず浮かびます。
浄瑠璃寺阿弥陀堂。九体阿弥陀の画像は無断掲載は気が引けるので、検索してください
池を中心に、西側には有名な「九体阿弥陀」がずらりと並び、池を挟んで反対側の塔(つまり東側)には薬師如来がいます。
こんなふうに池の西側に阿弥陀堂を置くスタイルは、平等院にも見られ、平安時代中期ぐらいから流行したそうです。
極楽浄土をイメージした「浄土式庭園」といいますけど、なぜこういうのが流行したのか、その時代背景は、拙著『仏像に光と闇』に書いてあります。
つぎは奈良へ行きましょう。時間も、先ほどの阿弥陀ワールドから3~400年くらいさかのぼります。
薬師さんは古くから東の代表格とされ、奈良・興福寺の東金堂には薬師如来が祀られています。
興福寺東金堂は薬師如来を祀る。では西金堂は?
じゃあ、興福寺の西金堂は、西だから阿弥陀如来?
いえ、釈迦如来なんですよね。
もしかして、興福寺が隆盛した奈良時代は、「阿弥陀=西」というイメージは無かったんでしょうか?
そもそも、薬師が東だとか阿弥陀が西だとかいう話は、お経がその根拠になっています。
薬師如来は『薬師経』、阿弥陀如来は『無量寿経』に、それぞれ東方とか西方とか書かれています。
ただし、『無量寿経』のほうは「初期」と「後期」があったり、訳本がいくつもあったり、まあいろいろな種類があるとのこと。
日本の浄土宗系では「後期」を根本としていて、そこに西方と書いてあるものの、それが日本に浸透したのがいつなのかはっきりわかりません。お経の変化と浄土教(阿弥陀信仰)の流行によって、阿弥陀=西方のイメージが浸透するまで時間を要したのかもしれませんね。
そんな阿弥陀の浄土信仰が流行したのが、ちょうど平等院や浄瑠璃寺の伽藍が形成された平安時代です。
それまで人気が高かった、東の代表・薬師如来から、西の代表・阿弥陀如来に人気がバトンタッチした時代といえるでしょう。
こうして薬師、阿弥陀の東西スターの布陣が固まり、「東は薬師、西は阿弥陀」が仏像ファンの常識みたいになっていくわけですが、
これより以前の奈良時代だって、東西の方位軸で神仏の信仰があったはずです。
また、奈良を代表する古寺・法隆寺の金堂には「西の間」にちゃんと阿弥陀如来がいます。平等院よりはるかに古いお寺なのに、これはどういうことなんでしょうか?
次週につづきます(次週はライブ配信本番でもあります……よかったら)。
それでは聴いてください。
井上陽水で「東へ西へ」
●おしらせ
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみソロアルバム
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
2021年1月13日発売しました
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
2.
宮澤やすみ・レコ発配信ライブ
【和楽器と舞踊で80sミュージックと小唄の融合ライブ!】
2021年2月23日(火祝)16時からツイキャスにて配信。
https://ja.twitcasting.tv/yasumi_m/shopcart/52727?hl=ja
(3月9日まで視聴できます)
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。地震+低気圧+花粉症でどよーんとなっている宮澤やすみです。本番前なのにこれじゃいかん。
さて、前回は南と北の方位に関するお話でした。
せっかくなので、今回は東と西もおさらいしておきましょう。
仏像ファンならもうよくご存じ、薬師如来と阿弥陀如来がその代表選手、でしょうか。
奈良の国宝仏をモデルにした、イスム薬師如来
薬師如来は、薬師瑠璃光浄土というところにいるとされ、その場所は我々の世界から東の果てにあるといいます。
なんといっても、病平癒のご利益が一番知られますが、衣食のご利益もあって、現世利益の「くらしのパートナー」であります。
阿弥陀如来は、極楽浄土にいるとされ、その場所は西方とされます。
阿弥陀さんは来世への希望をつなぐ仏さま。末法の世に住む我々も救ってくれて(その間に善行を積むとか積まなくていいとかなんかいろいろ解釈ある)、明るい未来を約束する仏ともいえるでしょう(この「未来」というワードがあとで効いてきます)。
薬師さんと阿弥陀さんを置くお寺で有名なところというと、浄瑠璃寺がまず浮かびます。
浄瑠璃寺阿弥陀堂。九体阿弥陀の画像は無断掲載は気が引けるので、検索してください
池を中心に、西側には有名な「九体阿弥陀」がずらりと並び、池を挟んで反対側の塔(つまり東側)には薬師如来がいます。
こんなふうに池の西側に阿弥陀堂を置くスタイルは、平等院にも見られ、平安時代中期ぐらいから流行したそうです。
極楽浄土をイメージした「浄土式庭園」といいますけど、なぜこういうのが流行したのか、その時代背景は、拙著『仏像に光と闇』に書いてあります。
つぎは奈良へ行きましょう。時間も、先ほどの阿弥陀ワールドから3~400年くらいさかのぼります。
薬師さんは古くから東の代表格とされ、奈良・興福寺の東金堂には薬師如来が祀られています。
興福寺東金堂は薬師如来を祀る。では西金堂は?
じゃあ、興福寺の西金堂は、西だから阿弥陀如来?
いえ、釈迦如来なんですよね。
もしかして、興福寺が隆盛した奈良時代は、「阿弥陀=西」というイメージは無かったんでしょうか?
そもそも、薬師が東だとか阿弥陀が西だとかいう話は、お経がその根拠になっています。
薬師如来は『薬師経』、阿弥陀如来は『無量寿経』に、それぞれ東方とか西方とか書かれています。
ただし、『無量寿経』のほうは「初期」と「後期」があったり、訳本がいくつもあったり、まあいろいろな種類があるとのこと。
日本の浄土宗系では「後期」を根本としていて、そこに西方と書いてあるものの、それが日本に浸透したのがいつなのかはっきりわかりません。お経の変化と浄土教(阿弥陀信仰)の流行によって、阿弥陀=西方のイメージが浸透するまで時間を要したのかもしれませんね。
そんな阿弥陀の浄土信仰が流行したのが、ちょうど平等院や浄瑠璃寺の伽藍が形成された平安時代です。
それまで人気が高かった、東の代表・薬師如来から、西の代表・阿弥陀如来に人気がバトンタッチした時代といえるでしょう。
こうして薬師、阿弥陀の東西スターの布陣が固まり、「東は薬師、西は阿弥陀」が仏像ファンの常識みたいになっていくわけですが、
これより以前の奈良時代だって、東西の方位軸で神仏の信仰があったはずです。
また、奈良を代表する古寺・法隆寺の金堂には「西の間」にちゃんと阿弥陀如来がいます。平等院よりはるかに古いお寺なのに、これはどういうことなんでしょうか?
次週につづきます(次週はライブ配信本番でもあります……よかったら)。
それでは聴いてください。
井上陽水で「東へ西へ」
●おしらせ
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみソロアルバム
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
2021年1月13日発売しました
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
2.
宮澤やすみ・レコ発配信ライブ
【和楽器と舞踊で80sミュージックと小唄の融合ライブ!】
2021年2月23日(火祝)16時からツイキャスにて配信。
https://ja.twitcasting.tv/yasumi_m/shopcart/52727?hl=ja
(3月9日まで視聴できます)
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m