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西の方位は未来の象徴? 阿弥陀と弥勒
”ヤマトの西のお寺に、阿弥陀でなく、未来にやってくるとされる「弥勒仏」が祀られていたという……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。主宰のライブを終えてまたまたグッタリしている宮澤やすみです。毎週なにかにつけてグッタリしている気がしますが。
さて、先週は東西の方位軸から薬師如来と阿弥陀如来に注目しました。
おおまかに平安時代中ごろから薬師、阿弥陀の東西スターが揃うわけですが、これより以前の奈良時代だって、東西の方位軸で神仏の信仰があったはずです。
古代の世界では太陽信仰から東西の方位を重視するのはよくあって、この連載でも先日ご紹介した古代エジプトもそうでした。東から太陽が現れて、この世をあまねく照らし、西に沈んでいくというサイクルは、時間の流れを意識させて、過去から未来という時間軸での信仰世界がかたちづくられていきます。
仏教流入より何百年も前、古代の日本では、奈良の三輪山という聖山を中心にヤマト王権が形作られました。
当時の政権があった土地からみると、ちょうど三輪山から朝日がのぼってくるんですよね。
太陽が昇る三輪山のイメージ(模型)
そして、日没は西の方角にある二上山という山にあたります。
この三輪山と二上山の東西軸が、古代ヤマト王権の信仰の基本で、古事記や日本書紀の舞台のひとつになっています。
古くは、天照大神も三輪山のふもとに祀られていて、後の時代に伊勢に遷されました。
あとから仏教が入ってくるころには、三輪山のふもとに藤原京という都ができ、立派なお寺がいくつも建ちます。
西の二上山に当麻寺ができたのもこのころです。
ここの本尊は、仏像ではなく「当麻曼陀羅」という図像。正式には「浄土変相図」といって、阿弥陀如来の極楽浄土へ導かれる様子を描いた者です。
やっぱり、西の代表・阿弥陀さんがご本尊なんですね。
、と言いたいところですが……
この当麻曼荼羅が最初に造られたのが、お寺の創建より少し後の天平宝字7年(西暦763年)。お寺の創建から100年近く後のことです。
創建時に近い時代の遺物として、当麻寺の金堂に弥勒如来が安置されています。
正確な年代はわかりませんが、藤原京が盛んだった白鳳時代のものとされます。
ここで興味深いのは、ヤマトの西のお寺に、阿弥陀でなく、未来にやってくるとされる「弥勒仏」が祀られていたということ。
太陽が沈んでいく西の方位は、時間軸では「未来」というイメージがあったため、弥勒仏で未来を表現したのでしょうか。
当麻寺・弥勒如来の脇侍として立つ持国天は東京国立博物館にお出ましになったことも(特別展「出雲と大和」より)
また、前回ご紹介した、奈良の興福寺にあった西金堂は、西のお堂だけど本尊は釈迦如来でした。
これの創建が天平6年(734)。
やはり阿弥陀の流行するより昔です。
そんなわけで、当麻寺と興福寺西金堂の例からすると、奈良時代以前は「西=阿弥陀」という図式がまだポピュラーではなかったと思われます。
しかし、問題は、世界最古の木造建築を要する法隆寺でして、ここの金堂には、中心が釈迦如来で、東側に薬師如来、西側に阿弥陀如来が安置されています。
興福寺や当麻寺よりさらに古いお寺に、「西=阿弥陀」の図式が見えているわけですが、なぜなのかというと、
じつはこれ、後から安置されたものだそうです。
法隆寺金堂「西の間」の阿弥陀如来は鎌倉時代の造像。創建当初は何があったか不明だそうです。
阿弥陀信仰が流行する以前と以後で、「西の担当ブツ」がちがってくるというお話でした。
それでは聴いてください。
ペット・ショップ・ボーイズで”Go West”。
●おしらせ
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみソロアルバム
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
2021年1月13日発売しました
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
2.
宮澤やすみ監修 中村文人著
『仏像”ここ見て”調査隊 奈良編』
『仏像”ここ見て”調査隊 京都編』
くもん出版から発売中
https://amzn.to/3dDMYpn
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。主宰のライブを終えてまたまたグッタリしている宮澤やすみです。毎週なにかにつけてグッタリしている気がしますが。
さて、先週は東西の方位軸から薬師如来と阿弥陀如来に注目しました。
おおまかに平安時代中ごろから薬師、阿弥陀の東西スターが揃うわけですが、これより以前の奈良時代だって、東西の方位軸で神仏の信仰があったはずです。
古代の世界では太陽信仰から東西の方位を重視するのはよくあって、この連載でも先日ご紹介した古代エジプトもそうでした。東から太陽が現れて、この世をあまねく照らし、西に沈んでいくというサイクルは、時間の流れを意識させて、過去から未来という時間軸での信仰世界がかたちづくられていきます。
仏教流入より何百年も前、古代の日本では、奈良の三輪山という聖山を中心にヤマト王権が形作られました。
当時の政権があった土地からみると、ちょうど三輪山から朝日がのぼってくるんですよね。
太陽が昇る三輪山のイメージ(模型)
そして、日没は西の方角にある二上山という山にあたります。
この三輪山と二上山の東西軸が、古代ヤマト王権の信仰の基本で、古事記や日本書紀の舞台のひとつになっています。
古くは、天照大神も三輪山のふもとに祀られていて、後の時代に伊勢に遷されました。
あとから仏教が入ってくるころには、三輪山のふもとに藤原京という都ができ、立派なお寺がいくつも建ちます。
西の二上山に当麻寺ができたのもこのころです。
ここの本尊は、仏像ではなく「当麻曼陀羅」という図像。正式には「浄土変相図」といって、阿弥陀如来の極楽浄土へ導かれる様子を描いた者です。
やっぱり、西の代表・阿弥陀さんがご本尊なんですね。
、と言いたいところですが……
この当麻曼荼羅が最初に造られたのが、お寺の創建より少し後の天平宝字7年(西暦763年)。お寺の創建から100年近く後のことです。
創建時に近い時代の遺物として、当麻寺の金堂に弥勒如来が安置されています。
正確な年代はわかりませんが、藤原京が盛んだった白鳳時代のものとされます。
ここで興味深いのは、ヤマトの西のお寺に、阿弥陀でなく、未来にやってくるとされる「弥勒仏」が祀られていたということ。
太陽が沈んでいく西の方位は、時間軸では「未来」というイメージがあったため、弥勒仏で未来を表現したのでしょうか。
当麻寺・弥勒如来の脇侍として立つ持国天は東京国立博物館にお出ましになったことも(特別展「出雲と大和」より)
また、前回ご紹介した、奈良の興福寺にあった西金堂は、西のお堂だけど本尊は釈迦如来でした。
これの創建が天平6年(734)。
やはり阿弥陀の流行するより昔です。
そんなわけで、当麻寺と興福寺西金堂の例からすると、奈良時代以前は「西=阿弥陀」という図式がまだポピュラーではなかったと思われます。
しかし、問題は、世界最古の木造建築を要する法隆寺でして、ここの金堂には、中心が釈迦如来で、東側に薬師如来、西側に阿弥陀如来が安置されています。
興福寺や当麻寺よりさらに古いお寺に、「西=阿弥陀」の図式が見えているわけですが、なぜなのかというと、
じつはこれ、後から安置されたものだそうです。
法隆寺金堂「西の間」の阿弥陀如来は鎌倉時代の造像。創建当初は何があったか不明だそうです。
阿弥陀信仰が流行する以前と以後で、「西の担当ブツ」がちがってくるというお話でした。
それでは聴いてください。
ペット・ショップ・ボーイズで”Go West”。
●おしらせ
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみソロアルバム
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
2021年1月13日発売しました
購入は「やすみ直販」で
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2.
宮澤やすみ監修 中村文人著
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宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m