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第255回 「甘美なるフランス」の時代、祖父はパリにいた②
”西洋料理にすっかり飽き飽きしている祖父が、1927年時のパリの楽しみを手紙にこう記していました……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。もうすぐ誕生日を迎える宮澤やすみです。以前は一歩一歩死に近づく感じがしてすごく嫌だったんですが最近はこれも良き事かなと思うようになってきました。
さて、前回は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」の取材から、私の祖父がその「甘美なるフランス」の時代にちょうどパリにいたことが発覚しました。
印象派から続く芸術の都パリ。その爛熟期に、リアルタイムにその場にいたというのがうらやましくて仕方ありません。
祖父の残した手紙の、達筆すぎる手書き文字をがんばって読んでみたところ、たちまち昭和初期のヨーロッパの様子が浮かび上がってくるではないですか。
--巴里は大した街です--
時は1927年(昭和2年)。
祖父は西洋医学の勉強のため、約2年間ヨーロッパに滞在(行き帰りの長い行程を含めると3年くらい)。
その拠点はドイツ・ハイデルベルクでした。そこからパリへ三週間ほどバカンス旅行に行ったそうです。
--之(これ)が巴里の市中を流れているセーヌ河です--
というのが、パリからの絵葉書にしたためられています。
裏をめくると、1927年当時のセーヌ川写真があります。
祖父が東京の家族に宛てた絵葉書(1927年)。セーヌ川。向こうに見える橋はポンヌフ
きっとこのとき、ピカソやシャガール、マリー・ローランサン、ユトリロ、藤田嗣治などがすれ違っていたことでしょう。
オランジュリー美術館が出来たのもちょうど1927年。
祖父もきっと美術館にも通ったんじゃないでしょうか。三週間も滞在したんだからそりゃ行くでしょう。
モンマルトルの伝説的シャンソニエ「ラパン・アジル」もきっと行ったことでしょう。
現在(令和3年)開催中の「甘美なるフランス」展でもユトリロが描いたラパン・アジルの絵が展示されています。
祖父からの絵葉書(1927年)。セーヌ河について「川は小さなものですが両岸の建物は立派なものです」
そして、祖父は翌1928年もパリを再訪。
--巴里は相変わらず賑やかです。まだこれからの(旅行の)計画ははっきりしません。ロンドンへでも行きたいと思って居ますが当分ここへ止まるつもりです--
祖父からの絵葉書(1928年)。シテ島から見た市庁舎とアルコル橋
この年、パリには「もう一月半になります」という長い滞在。
いっぽうロンドンに対してはあまり興味がわかなかったようで、
--ロンドンへは巴里からたった六七時間で行けます。英国は言葉の関係もあり医者の方面もたいした事なく 又不愉快な処ときいて居りますから三四日の滞在にすぎません。--
と、なかなかのディスりよう(笑)
「不愉快なところ」って……
祖父からの絵葉書(1928年)。表面
ほかにも、「食べ物が合わない」「物価が高い」といったボヤきが多い祖父の手紙(まさかここで公開されると思ってなかったでしょうから)。
--何しろ西洋料理もこう(毎日同じものを)やられてはかないません--
そんな西洋料理にすっかり飽き飽きしている祖父が、1927年時のパリの楽しみを手紙にこう記していました。
--
先達って巴里へ行って久し振りに日本飯とサシミや天ぷら、うなぎのかばやきなどたべましたが非常においしくありました。巴里では何でも食べられます。支那料理も結構でした。
--
フランスに行って、フランス料理食わなかったんかーい!!
と、令和時代のツッコミを入れたくなるこの一文。
でも、それだけ本当に和食が恋しかったんでしょう。
それにしても、1927年のパリで、ちゃんとした和食があったというのが驚きです。
この時代は、好景気もあって、日本人が多く欧州滞在し、まるで遣唐使みたいに海外文化を吸収していた頃です。
古代も近代も、海外文化を貪欲に吸収するのが日本人の特徴です。
当時の宝塚少女歌劇団が、「モン・パリ(我が巴里よ)」と題したレヴューを上演したのがちょうど1927年のこと。演出家の岸田辰弥氏がフランスを視察した成果です。
祖父の周囲でも、日本人の仲間たちとの交流が書かれています。
ドイツでも、「日本フェスタ」みたいな催しがあったそうで、そこに居たのはなんと・・・
まだまだたくさんの情報が詰まっている祖父の手紙。
すみませんが、来週もこの話題続けさせていただきます。
祖父からの絵葉書(1928年)。マリー・アントワネットが幽閉されたことで有名なコンシェルジュリーとポンヌフ(ヌフ橋)
それでは聴いてください。
宝塚少女歌劇団花組で「モン・パリ」(昭和4年録音)
ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス
2021/9/18(土)~ 11/23(火・祝)
*9/28(火)、10/26(火)は休館
Bunkamura ザ・ミュージアム
詳細は公式サイトへ:
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola/
(おしらせ)本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ一門演奏会「小唄 in 神楽坂」
10/23(金)15:00開演(16:30終了)
神楽坂 善國寺(毘沙門天)書院
フランスのシャンソンと並ぶ、小粋な歌が日本の「小唄」
それを専門に指導している宮澤やすみ一門の年に一度の演奏会です。
(イベント詳細ページ)
https://machitobi.org/2021/204/
2.
新作MV公開「寄木造」宮澤やすみアンド・ザ・ブッツ
宮澤やすみYoutubeチャンネル
https://www.youtube.com/c/YasumiMiyazawa/
3.
宮澤やすみソロアルバム発売中
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。もうすぐ誕生日を迎える宮澤やすみです。以前は一歩一歩死に近づく感じがしてすごく嫌だったんですが最近はこれも良き事かなと思うようになってきました。
さて、前回は渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」の取材から、私の祖父がその「甘美なるフランス」の時代にちょうどパリにいたことが発覚しました。
印象派から続く芸術の都パリ。その爛熟期に、リアルタイムにその場にいたというのがうらやましくて仕方ありません。
祖父の残した手紙の、達筆すぎる手書き文字をがんばって読んでみたところ、たちまち昭和初期のヨーロッパの様子が浮かび上がってくるではないですか。
--巴里は大した街です--
時は1927年(昭和2年)。
祖父は西洋医学の勉強のため、約2年間ヨーロッパに滞在(行き帰りの長い行程を含めると3年くらい)。
その拠点はドイツ・ハイデルベルクでした。そこからパリへ三週間ほどバカンス旅行に行ったそうです。
--之(これ)が巴里の市中を流れているセーヌ河です--
というのが、パリからの絵葉書にしたためられています。
裏をめくると、1927年当時のセーヌ川写真があります。
祖父が東京の家族に宛てた絵葉書(1927年)。セーヌ川。向こうに見える橋はポンヌフ
きっとこのとき、ピカソやシャガール、マリー・ローランサン、ユトリロ、藤田嗣治などがすれ違っていたことでしょう。
オランジュリー美術館が出来たのもちょうど1927年。
祖父もきっと美術館にも通ったんじゃないでしょうか。三週間も滞在したんだからそりゃ行くでしょう。
モンマルトルの伝説的シャンソニエ「ラパン・アジル」もきっと行ったことでしょう。
現在(令和3年)開催中の「甘美なるフランス」展でもユトリロが描いたラパン・アジルの絵が展示されています。
祖父からの絵葉書(1927年)。セーヌ河について「川は小さなものですが両岸の建物は立派なものです」
そして、祖父は翌1928年もパリを再訪。
--巴里は相変わらず賑やかです。まだこれからの(旅行の)計画ははっきりしません。ロンドンへでも行きたいと思って居ますが当分ここへ止まるつもりです--
祖父からの絵葉書(1928年)。シテ島から見た市庁舎とアルコル橋
この年、パリには「もう一月半になります」という長い滞在。
いっぽうロンドンに対してはあまり興味がわかなかったようで、
--ロンドンへは巴里からたった六七時間で行けます。英国は言葉の関係もあり医者の方面もたいした事なく 又不愉快な処ときいて居りますから三四日の滞在にすぎません。--
と、なかなかのディスりよう(笑)
「不愉快なところ」って……
祖父からの絵葉書(1928年)。表面
ほかにも、「食べ物が合わない」「物価が高い」といったボヤきが多い祖父の手紙(まさかここで公開されると思ってなかったでしょうから)。
--何しろ西洋料理もこう(毎日同じものを)やられてはかないません--
そんな西洋料理にすっかり飽き飽きしている祖父が、1927年時のパリの楽しみを手紙にこう記していました。
--
先達って巴里へ行って久し振りに日本飯とサシミや天ぷら、うなぎのかばやきなどたべましたが非常においしくありました。巴里では何でも食べられます。支那料理も結構でした。
--
フランスに行って、フランス料理食わなかったんかーい!!
と、令和時代のツッコミを入れたくなるこの一文。
でも、それだけ本当に和食が恋しかったんでしょう。
それにしても、1927年のパリで、ちゃんとした和食があったというのが驚きです。
この時代は、好景気もあって、日本人が多く欧州滞在し、まるで遣唐使みたいに海外文化を吸収していた頃です。
古代も近代も、海外文化を貪欲に吸収するのが日本人の特徴です。
当時の宝塚少女歌劇団が、「モン・パリ(我が巴里よ)」と題したレヴューを上演したのがちょうど1927年のこと。演出家の岸田辰弥氏がフランスを視察した成果です。
祖父の周囲でも、日本人の仲間たちとの交流が書かれています。
ドイツでも、「日本フェスタ」みたいな催しがあったそうで、そこに居たのはなんと・・・
まだまだたくさんの情報が詰まっている祖父の手紙。
すみませんが、来週もこの話題続けさせていただきます。
祖父からの絵葉書(1928年)。マリー・アントワネットが幽閉されたことで有名なコンシェルジュリーとポンヌフ(ヌフ橋)
それでは聴いてください。
宝塚少女歌劇団花組で「モン・パリ」(昭和4年録音)
ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス
2021/9/18(土)~ 11/23(火・祝)
*9/28(火)、10/26(火)は休館
Bunkamura ザ・ミュージアム
詳細は公式サイトへ:
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola/
(おしらせ)本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ一門演奏会「小唄 in 神楽坂」
10/23(金)15:00開演(16:30終了)
神楽坂 善國寺(毘沙門天)書院
フランスのシャンソンと並ぶ、小粋な歌が日本の「小唄」
それを専門に指導している宮澤やすみ一門の年に一度の演奏会です。
(イベント詳細ページ)
https://machitobi.org/2021/204/
2.
新作MV公開「寄木造」宮澤やすみアンド・ザ・ブッツ
宮澤やすみYoutubeチャンネル
https://www.youtube.com/c/YasumiMiyazawa/
3.
宮澤やすみソロアルバム発売中
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m