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第256回 「甘美なるフランス」の時代、祖父はパリにいた③ 一次資料でみる100年前の日本人欧州探訪記 「新宿中村屋の娘さん」が着物に三味線で? 独仏伊歴訪した祖父からの手紙。ファミリーヒストリーでご先祖供養

”祖父の足跡を一部分でもたどったことで、短い祖父の生涯が令和に引き継がれました……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。

こんにちは。宮澤やすみです。

さて、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」の取材から、私の祖父がその「甘美なるフランス」の時代にちょうどパリにいたことが発覚し、いろいろ書いております。

祖父の残した手紙の、達筆すぎる手書き文字をがんばって読んでみたところ、昭和初期の日本人がヨーロッパで立ち回る様子が浮かび上がってくるではないですか。


祖父が東京の家族に宛てた絵葉書(1926年)「長の船旅も全く無事に昨日佛国マルセイユに上陸しました。之で兎に角西洋に来たわけです」。このあとモナコからローマ、ナポリ、フィレンツェ、ベニスを探訪しウイーンへ向かうとのこと

1926年、東南アジア、インド、アラビア半島と長い旅を経てヨーロッパに入った祖父は、南仏、イタリア、オーストリアを経て翌年ドイツ・ハイデルベルクに到着。ドイツ最新医学の視察をしていました。


絵葉書より。祖父の欧州初上陸の地・フランス、マルセイユ。当時祖父は32歳。

時にはフランスやベルギーなども滞在したことは前回書きました。
この時代、好景気を背景に世界情勢も穏やかで、多くの日本人が欧州に滞在していました(それがこの後すぐ世界大戦になるのだから不思議です)。

祖父の手紙によると、ドイツ・ハイデルベルクではこんなことが書いてありました。

--二三日前に新宿の中村屋(パンや)の娘さんが独逸の家庭の家政見学とかで兄をたよってこられた。兄さんは二三ケ月程前からハイデルに居られる--

あの新宿中村屋。現在はカレーで有名ですが、もともとはパン屋さん。クリームパンの元祖でもあるお店です。
娘さんとは、ちょっと調べてみると、創業者相馬黒光(こっこう)さんの次女、相馬千香子さんでしょうか
(長女の俊子さんはインド革命の志士ボースと結婚後、26歳で亡くなっています)。
有名店のご令嬢がハイデルベルクにやってきました。

--娘さんは仲々えらい人だ。日本服を着てこないだ町を歩いて皆々の眼をひいた。--

さらには、ドイツ滞在中の日本人が開催した「日本の夕(ゆうべ)」というイベントがあるそうで、

--明後日は学生の会で日本の夕と云って在留日本人が主でやる催しがある。それには柔道のかたや、尺八などやる人があるが、その娘さんは三味線の余興をされるが 又えらい評判になる事と思ふ--

さすが中村屋の御令嬢、さぞかし着物美人で、幼少から三味線もたしなんでいらしたんでしょう。
ちなみに、現在でも新宿界隈は三味線で小唄を歌うような粋な旦那文化が残っていて、ぼくも糸方(三味線弾き)で関わっていたことがあります。


1928年に送られてきたドイツ・ベルリンの大聖堂を写した絵葉書

そんな賑やかなヨーロッパ滞在。1926(昭和元年)~1928年(昭和3年)のことでした。
ほぼ100年近く前のことですが、日本のエリートたちは国際交流に勤しんでいたようです。
その目的は海外の文物を吸収して日本に持ち帰ることであり、1000年前の遣唐使と似ています。

ここで、基本的な祖父の若いころの経歴を記しておきます。
記録があまりはっきり残っていないのですが、ざっとこんな感じです。

安井慧之助(やすい けいのすけ)
1894(明治27) 5月12日岡山県生まれ
1919(大正8) 東京帝国大学医学部医学科卒業
1920(大正9) 医師免許取得
1922(大正11) 台湾総督府医院医長 兼 台湾医学専門学校教授
 この間、欧州滞在
1932(昭和7年)まで同職
 以降、日本国内で開業医

祖父の名前で検索すると、小児科に関する論文がいくつか出てきます。
台湾総督府の仕事を終えた後は、東京青山で小児科を開業。
しかし、その後は戦争激化で医院を閉じ、岡山に疎開。
残念ながら戦後まもなく病気で亡くなりました(昭和21年か)。
なので、私は祖父の存在をほとんど意識せずに大人になり、今自分が中高年になってやっと祖父の歩みを知ることになったのでした。


絵葉書より。1926年イタリア・ベニスの風景。今とあまり変わってない?

私自身は、日ごろ仏像を軸に1000年前の歴史を調べたりするのですが、記録が文献の形で残っているのは本当にごくわずか。
歴史学者の方々の苦労にはあらためて頭が下がります。
歴史を勉強するうえで、「一次資料」を当たるというのは大事とよく言われます。今回は、当時に本人が書いた本物の「一次資料」を手に取って読むことができました。
たしかに、伝聞による間違いがないというのはもちろん、生の情報に触れ、歴史を知る行為としての実感がひとしおです。
自分が手にしたのは、ささやかなファミリーヒストリーにすぎませんが、平安時代、奈良時代の文献(よく博物館で展示されている書類)なんかも、今後は見る目が変わると思います。

ただ、1000年前の天皇の動向もいいですが、100年前の親族のことを、今まで顧みることがなかったのが申し訳なく思います。
手書きの手紙を読むと、ありありとその当時のリアルな祖父の生きざまが見えました。

こうして祖父の足跡を一部分でもたどったことで、短い祖父の生涯が令和に引き継がれました。
小児科の先生ですから、戦後の食糧難に子供たちの健康を優先していたんでしょうか。祖父の子供たちへの愛情が偲ばれます。

ちなみに、今回引用した手紙は1927年クリスマス直前に書かれたものですが、クリスマス休みは「家にひきこもっているつもり」とのこと。
祖父のボヤキ節がさく裂します(笑)。


絵葉書より。1928年スイス・インターラーケンの風景。ボヤキながらも本当にあちこち楽しまれて、「水曜どうでしょう」の大泉洋みたいです

--何しろ寒くて出る事がいやだ--
--(ドイツの家庭では)いはゆる御馳走があるのだろう。がてう(ガチョウ)の丸焼をするとて大さわぎで大変なものの様に思って居る。この上もない御馳走なのだろう。別にうまくもなさそうだが--
--正月の雑煮が食べ(られ)ない事 二年。そう特にすきでもないがないと淋しく年をとった様な気がしない--

ボヤいてばかりの祖父ですが、別の絵葉書には、助手や世話になった人へのプレゼントを買った旨書かれてありました。

ひとまず、祖父の歴史探訪は一度ここまで。次回からいつもの連載に戻るつもりです(戻れなかったらごめんなさい)。



それでは聴いてください。
山田参助とG.C.R.管絃楽団で「大土蔵録音2020」(わたくしも参加している昭和初期音楽の再現です)




ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス
 2021/9/18(土)~ 11/23(火・祝)
*9/28(火)、10/26(火)は休館
Bunkamura ザ・ミュージアム
詳細は公式サイトへ:
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola/



(おしらせ)本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ一門演奏会「小唄 in 神楽坂」
10/23(金)15:00開演(16:30終了)
神楽坂 善國寺(毘沙門天)書院

フランスのシャンソンと並ぶ、小粋な歌が日本の「小唄」
それを専門に指導している宮澤やすみ一門の、年に一度の演奏会です。
(イベント詳細ページ)
 https://machitobi.org/2021/204/


2.
新作MV公開「寄木造」宮澤やすみアンド・ザ・ブッツ


宮澤やすみYoutubeチャンネル
https://www.youtube.com/c/YasumiMiyazawa/


3.
宮澤やすみソロアルバム発売中
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
購入は「やすみ直販」で
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宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m