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第298回 「如意輪推し」の痕跡が見える 飛鳥斑鳩の古寺
”スミマセン!この寺の仏像は六本腕じゃないですけど…--”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。夏ですが、もう秋の小唄とブッツの出番の準備で忙しい宮澤やすみです。
さて、前回は如意輪観音について書きましたが、なぜ飛鳥に如意輪観音がいるのかという話。
聖徳太子や蘇我氏が活躍した飛鳥時代ゆかりの古寺に、如意輪観音がいるんです。
斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩も、信仰上は如意輪観音とされますよね。
半跏思惟の姿は、仏像ファンからすればどうみても弥勒菩薩なんですけど、如意輪観音だという。
半跏思惟の姿は、弥勒菩薩とされるが……? 写真:TanaCOCORO 菩薩半跏像
子供の頃、歴史マンガ(ムロタニツネ象先生・画)とかで古代史にハマっていたわたくしは、中宮寺の像の写真をみると、
弥勒菩薩なのになんで如意輪観音なの?
と、細かいところに疑問をもつマセガキでありました。
如意輪観音菩薩が初めて日本に安置されたのが9世紀前半、承和年間(834~848)と推定されるそうで、空海によって大阪の観心寺に像が造られたのが最初とされます。その後都周辺の密教寺院で信仰がさかんになります。
いっぽう、前回ふれた橘寺ですと、創建年は不詳ですが、いろんな記録からしてざっと飛鳥時代後期(7世紀半ば)くらいと予想されます。
だから、橘寺の長い歴史のなかでいうと、創建後200年経った後で忽然と如意輪観音がやってきた、ということですね。
橘寺にて。聖徳太子と如意輪観音の関係とは……? (動画「如意輪のまどろみ」より抜粋)
おなじ飛鳥地域の岡寺も7世紀末くらいの創建とされる古いお寺ですが、本尊は如意輪観音です。
巨大な塑像の本尊は、当初は別の名前で呼ばれていたのが、ある時から如意輪観音となったそう。
先ほどの中宮寺も、像は7世紀の作とされますが、ある時から如意輪観音と呼ばれるようになった。
変なとこでマジメだった少年時代のわたくしには、同じ仏像なのになんで呼び名が変わるのか、理解が及ばなかったのですが、大人になるとわかります。
いろいろあるんだよ、と。
それじゃ身もフタもないですね。
仏像は変わらないけど、それに向き合う人はどんどん入れ替わる。
何百年もしているうちに、信仰のかたちが変わっていって、呼び名も変わるのですね。
聖徳太子ゆかりの像が如意輪観音と呼ばれるきっかけは、わりとはっきりしているようで、この「仏像ブツブツ」連載の2020年夏の記事、石山寺の如意輪観音の話が発端になります。
石山寺本堂。舞台づくりになっている。右奥の内陣で秘仏本尊・二臂の如意輪観音菩薩を拝観した
ざっとあらすじを書きますとこんな感じみたいです---
時は平安時代後半。観音のお寺である石山寺に、おとなりの醍醐寺のお坊さんが住職就任して、それ以降、醍醐寺で猛プッシュしていた如意輪観音を広めるべく、石山寺の本尊も如意輪観音とされました(過去記事参照)。
以降、本来は6本腕(六臂)であるはずの如意輪観音ですが、石山寺の像にならって二臂で半跏踏み下げの姿をした如意輪観音が流行します。
当時朝廷や大寺院のネットワークで勢力を広めた真言密教の派閥が、勢いに乗って東大寺や奈良の古寺に如意輪観音信仰を広めます。
橘寺の如意輪観音は平安後期の作で、ちょうどこの時代のものと思われます。
橘寺観音堂にはクラブツーリズムのツアーでも何度も訪れ、解説をさせていただきました
このころ、同時に仏教の原点回帰運動も起きていまして、聖徳太子ブームも起きた。
鎌倉時代、叡尊の真言律宗では聖徳太子=如意輪観音というキャンペーンを打ち出して、飛鳥の古寺や中宮寺の古い仏像も如意輪観音と称されるようになった。
---と、おおまかに平安時代後期から鎌倉時代にかけて、如意輪観音の名前と信仰が奈良の古寺に広まったようです。
この時代は、仏教界では新興勢力(念仏、禅)が大ブレイクして、旧勢力とくに密教のみなさんが巻き返しを図るころだったようで、
「スミマセン課長、この寺の像は六本腕じゃないですけど……」
「いいから!! とにかく如意輪観音推しでいくって決まってるから!」
「わ、わかりました! すぐにFAXします!」
とかなんとか、当時の現場の会話を妄想してしまいます(FAXは無いけども)。
いわばルール無視の如意輪プロモーション活動で真言密教は巻き返しに成功するわけですが、
どんな組織であっても(個人でも)、生き残るためには最後までやり通す押しの強さとちょっとの狡猾さが必要なんだなあと、大人になった私などは勉強させられる次第でございます。
そういえば、真言宗系のお坊さんはだいたい屈強で、宴会にやたら強いお酒を持ち込んでつぶされるという印象があって、それもある種の伝統なのかしらと思います(個人の印象です)。
次週はもっと軽い内容にします。
それでは聴いてください。
ザ・ブッツで、「如意輪のまどろみ Nyorin Daydream」。
(過去記事)
如意輪でつながる3つの大寺-石山寺・如意輪観音の旅
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20200901-2/
---おしらせ---
(おしらせ)本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ「仏像ブツブツ」連載300回記念
【ザ・ブッツ新作アルバムレコ発ライブ】
宮澤やすみの”仏像バンド”The Buttzの新作発表を兼ねたお祝いライブです。
配信視聴も可能。どなたもぜひお越し&ご視聴ください。
(詳細)
http://yasumimiyazawa.com/live.html
2.
「如意輪のまどろみ」を収録したミニアルバム『欣喜雀躍』。
ご購入いただけると活動存続の助けになります。応援よろしくお願いいたします。
↓↓↓
http://yasumimiyazawa.com/buttz/buybuttz.html
アルバムジャケットは飛鳥・橘寺の風景
3.
宮澤やすみソロアルバム発売中
『SHAMISEN DYSTOPIA シャミセン・ディストピア』
購入は「やすみ直販」で
http://yasumimiyazawa.com/direct.html
(ネット決済のほか、銀行振込、郵便振替も対応)
宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。夏ですが、もう秋の小唄とブッツの出番の準備で忙しい宮澤やすみです。
さて、前回は如意輪観音について書きましたが、なぜ飛鳥に如意輪観音がいるのかという話。
聖徳太子や蘇我氏が活躍した飛鳥時代ゆかりの古寺に、如意輪観音がいるんです。
斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩も、信仰上は如意輪観音とされますよね。
半跏思惟の姿は、仏像ファンからすればどうみても弥勒菩薩なんですけど、如意輪観音だという。
半跏思惟の姿は、弥勒菩薩とされるが……? 写真:TanaCOCORO 菩薩半跏像
子供の頃、歴史マンガ(ムロタニツネ象先生・画)とかで古代史にハマっていたわたくしは、中宮寺の像の写真をみると、
弥勒菩薩なのになんで如意輪観音なの?
と、細かいところに疑問をもつマセガキでありました。
如意輪観音菩薩が初めて日本に安置されたのが9世紀前半、承和年間(834~848)と推定されるそうで、空海によって大阪の観心寺に像が造られたのが最初とされます。その後都周辺の密教寺院で信仰がさかんになります。
いっぽう、前回ふれた橘寺ですと、創建年は不詳ですが、いろんな記録からしてざっと飛鳥時代後期(7世紀半ば)くらいと予想されます。
だから、橘寺の長い歴史のなかでいうと、創建後200年経った後で忽然と如意輪観音がやってきた、ということですね。
橘寺にて。聖徳太子と如意輪観音の関係とは……? (動画「如意輪のまどろみ」より抜粋)
おなじ飛鳥地域の岡寺も7世紀末くらいの創建とされる古いお寺ですが、本尊は如意輪観音です。
巨大な塑像の本尊は、当初は別の名前で呼ばれていたのが、ある時から如意輪観音となったそう。
先ほどの中宮寺も、像は7世紀の作とされますが、ある時から如意輪観音と呼ばれるようになった。
変なとこでマジメだった少年時代のわたくしには、同じ仏像なのになんで呼び名が変わるのか、理解が及ばなかったのですが、大人になるとわかります。
いろいろあるんだよ、と。
それじゃ身もフタもないですね。
仏像は変わらないけど、それに向き合う人はどんどん入れ替わる。
何百年もしているうちに、信仰のかたちが変わっていって、呼び名も変わるのですね。
聖徳太子ゆかりの像が如意輪観音と呼ばれるきっかけは、わりとはっきりしているようで、この「仏像ブツブツ」連載の2020年夏の記事、石山寺の如意輪観音の話が発端になります。
石山寺本堂。舞台づくりになっている。右奥の内陣で秘仏本尊・二臂の如意輪観音菩薩を拝観した
ざっとあらすじを書きますとこんな感じみたいです---
時は平安時代後半。観音のお寺である石山寺に、おとなりの醍醐寺のお坊さんが住職就任して、それ以降、醍醐寺で猛プッシュしていた如意輪観音を広めるべく、石山寺の本尊も如意輪観音とされました(過去記事参照)。
以降、本来は6本腕(六臂)であるはずの如意輪観音ですが、石山寺の像にならって二臂で半跏踏み下げの姿をした如意輪観音が流行します。
当時朝廷や大寺院のネットワークで勢力を広めた真言密教の派閥が、勢いに乗って東大寺や奈良の古寺に如意輪観音信仰を広めます。
橘寺の如意輪観音は平安後期の作で、ちょうどこの時代のものと思われます。
橘寺観音堂にはクラブツーリズムのツアーでも何度も訪れ、解説をさせていただきました
このころ、同時に仏教の原点回帰運動も起きていまして、聖徳太子ブームも起きた。
鎌倉時代、叡尊の真言律宗では聖徳太子=如意輪観音というキャンペーンを打ち出して、飛鳥の古寺や中宮寺の古い仏像も如意輪観音と称されるようになった。
---と、おおまかに平安時代後期から鎌倉時代にかけて、如意輪観音の名前と信仰が奈良の古寺に広まったようです。
この時代は、仏教界では新興勢力(念仏、禅)が大ブレイクして、旧勢力とくに密教のみなさんが巻き返しを図るころだったようで、
「スミマセン課長、この寺の像は六本腕じゃないですけど……」
「いいから!! とにかく如意輪観音推しでいくって決まってるから!」
「わ、わかりました! すぐにFAXします!」
とかなんとか、当時の現場の会話を妄想してしまいます(FAXは無いけども)。
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どんな組織であっても(個人でも)、生き残るためには最後までやり通す押しの強さとちょっとの狡猾さが必要なんだなあと、大人になった私などは勉強させられる次第でございます。
そういえば、真言宗系のお坊さんはだいたい屈強で、宴会にやたら強いお酒を持ち込んでつぶされるという印象があって、それもある種の伝統なのかしらと思います(個人の印象です)。
次週はもっと軽い内容にします。
それでは聴いてください。
ザ・ブッツで、「如意輪のまどろみ Nyorin Daydream」。
(過去記事)
如意輪でつながる3つの大寺-石山寺・如意輪観音の旅
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20200901-2/
---おしらせ---
(おしらせ)本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ「仏像ブツブツ」連載300回記念
【ザ・ブッツ新作アルバムレコ発ライブ】
宮澤やすみの”仏像バンド”The Buttzの新作発表を兼ねたお祝いライブです。
配信視聴も可能。どなたもぜひお越し&ご視聴ください。
(詳細)
http://yasumimiyazawa.com/live.html
2.
「如意輪のまどろみ」を収録したミニアルバム『欣喜雀躍』。
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↓↓↓
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アルバムジャケットは飛鳥・橘寺の風景
3.
宮澤やすみソロアルバム発売中
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宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m