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第453回 そもそも八角円堂って何? 興福寺北円堂
”八角円堂としては、法隆寺夢殿の創建より古いんですよね――”
音楽家で神仏研究家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。小唄のお弟子さんたちの発表会を兼ねた演奏会「小唄 in 神楽坂」が近づき稽古にも力が入る宮澤やすみです。みなさん熱心に稽古を積んでなかなかの出来栄えになっています。

報道内覧会にて。興福寺北円堂の仏像群。許可を得て撮影
そんな中、東京国立博物館では、特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が開幕中。前々回から紹介しています。
展示の主役は、奈良・興福寺北円堂の仏像なんですけど、わたくし前から素朴な疑問がありまして、それがこの北円堂という建物そのもののことです。

興福寺北円堂
上からみると八角形をしたお堂で、円堂とか、八角円堂と呼ばれる建物。
同じようなお堂では法隆寺の夢殿がテレビCMにも出てよく知られますが、
この円堂って、そもそも何のためにあるの?
というのが、学生の頃素朴な疑問でした。
お寺の本堂とは別で大切にされているし、そもそも円じゃないし。
その答えをさぐると仏教だけでは収まらず、古墳とか古代中国の思想にまで広がるなかなかややこしいテーマで、諸説ありの世界になってしまいます。
それでも、各研究の先生方の尽力によって、だいたいおよその見当はついているようなので整理してみましょう。
まず、興福寺北円堂の創建について、
奈良時代はじめの721年(養老5年)に建てられたと推定されます。
お寺の八角円堂としては、法隆寺夢殿の創建(739=天平11年)より古いんですよね。
もしかしたら、北円堂が円堂建築の最初なんでしょうか?

こちらは法隆寺の夢殿。なんでも最古のイメージがある法隆寺だが北円堂のほうが古い
興福寺北円堂は、今回特別展の図録によると
当時の権力者・藤原不比等の追善供養のために建てられました。
不比等は、長く続く藤原氏の権勢のもとを作った藤原氏のゴッドファーザーです。
ちなみに、法隆寺夢殿のほうは、聖徳太子の供養が目的です。
だいたい八角円堂は、故人の供養のために建てられるものなんですね。
しかし、そこに遺骨はありません。
お墓ではないわけです。
ここが、若いワタクシの素朴な疑問だったのですが、亡くなった人をお参りするならお墓に行けばいいのに、なんで遺骨もないお堂をわざわざ建てるのか?
という、じつに初歩的な疑問だったのですが、ちょうど先日、Yahooニュースでこの疑問を一気に解消する記事が出ていました。
「先祖の墓参り=日本の伝統」は大間違い…江戸時代になるまで「遺体を埋めたら終了」だった民俗学的理由
島村恭則 関西学院大学社会学部長・教授/世界民俗学研究センター長
島村先生によると、埋葬のための墓と、供養のための墓「詣り墓」という両墓制を紹介していらっしゃいます。
死は、もっとも忌むべき穢れであり近づくことが憚られる。なので先祖のお参りのために別の施設を作る、という考え方が、北円堂という建物にも通じているように思います。
歴史をさかのぼると、飛鳥時代の蘇我馬子も、飛鳥寺という私的な寺を建てたのにもかかわらず、墓は石舞台古墳(と推定)とされます。
お寺という「聖域」と、埋葬地を分けているのです。
お寺の境内に墓地がある現在とは、考え方がちがうのですね。
つまり、遺骨や遺体は無いけど、ある意味お墓の機能を果たすのが「八角円堂」。
亡くなった人を追慕して、その人にゆかりのある仏像を安置します。
藤原不比等の場合は、弥勒のいる兜率天をめざしていたので、弥勒仏を本尊として安置したというのは、先週この連載でご紹介したところです(「あわせて読む」記事参照)。
しかし! ここでまた素朴な疑問が。
「円堂」というのに、なんで八角形なの?
という、まことに素朴が疑問がまだあります。
どうでもいいじゃんと言われそうですが、一度気になると気になって晩酌が進まない。
というわけで次週につづきます。
それでは聴いてください。
宮澤やすみで「馬子と石舞台」
特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」
2025年9月9日(火)~11月30日(日)
東京国立博物館 本館特別5室
詳細:
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/unkei2025/index.html
■あわせて読む(関連記事)
菩薩じゃなくて如来? 北円堂・弥勒仏の理由
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20250930-2/
塑像の眼を模した運慶の技量「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20250909-2/
蘇我馬子が古墳にいる理由
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20190122-2/
仏像との豊かなファーストコンタクトのために
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20210511-2/
--おしらせ---
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
吉原の酔狂と悲哀を歌った古典小唄集
『廓の夜』 宮澤やすみ(唄、三味線、解説)
https://yasumimiyazawa.com/kuruwanoyorubook.html
歌詞と解説をまとめたガイドブック発売中
※楽曲はYoutube、Spotifyなどで誰でも聴けますが、これがあればよりよくわかる!
宮澤やすみ出演情報(これからとこれまで)まとめ
https://yasumimiyazawa.com/live.html
宮澤やすみ公式サイト:
https://yasumimiyazawa.com
音楽家で神仏研究家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。小唄のお弟子さんたちの発表会を兼ねた演奏会「小唄 in 神楽坂」が近づき稽古にも力が入る宮澤やすみです。みなさん熱心に稽古を積んでなかなかの出来栄えになっています。

報道内覧会にて。興福寺北円堂の仏像群。許可を得て撮影
そんな中、東京国立博物館では、特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が開幕中。前々回から紹介しています。
展示の主役は、奈良・興福寺北円堂の仏像なんですけど、わたくし前から素朴な疑問がありまして、それがこの北円堂という建物そのもののことです。

興福寺北円堂
上からみると八角形をしたお堂で、円堂とか、八角円堂と呼ばれる建物。
同じようなお堂では法隆寺の夢殿がテレビCMにも出てよく知られますが、
この円堂って、そもそも何のためにあるの?
というのが、学生の頃素朴な疑問でした。
お寺の本堂とは別で大切にされているし、そもそも円じゃないし。
その答えをさぐると仏教だけでは収まらず、古墳とか古代中国の思想にまで広がるなかなかややこしいテーマで、諸説ありの世界になってしまいます。
それでも、各研究の先生方の尽力によって、だいたいおよその見当はついているようなので整理してみましょう。
まず、興福寺北円堂の創建について、
奈良時代はじめの721年(養老5年)に建てられたと推定されます。
お寺の八角円堂としては、法隆寺夢殿の創建(739=天平11年)より古いんですよね。
もしかしたら、北円堂が円堂建築の最初なんでしょうか?

こちらは法隆寺の夢殿。なんでも最古のイメージがある法隆寺だが北円堂のほうが古い
興福寺北円堂は、今回特別展の図録によると
当時の権力者・藤原不比等の追善供養のために建てられました。
不比等は、長く続く藤原氏の権勢のもとを作った藤原氏のゴッドファーザーです。
ちなみに、法隆寺夢殿のほうは、聖徳太子の供養が目的です。
だいたい八角円堂は、故人の供養のために建てられるものなんですね。
しかし、そこに遺骨はありません。
お墓ではないわけです。
ここが、若いワタクシの素朴な疑問だったのですが、亡くなった人をお参りするならお墓に行けばいいのに、なんで遺骨もないお堂をわざわざ建てるのか?
という、じつに初歩的な疑問だったのですが、ちょうど先日、Yahooニュースでこの疑問を一気に解消する記事が出ていました。
「先祖の墓参り=日本の伝統」は大間違い…江戸時代になるまで「遺体を埋めたら終了」だった民俗学的理由
島村恭則 関西学院大学社会学部長・教授/世界民俗学研究センター長
島村先生によると、埋葬のための墓と、供養のための墓「詣り墓」という両墓制を紹介していらっしゃいます。
死は、もっとも忌むべき穢れであり近づくことが憚られる。なので先祖のお参りのために別の施設を作る、という考え方が、北円堂という建物にも通じているように思います。
歴史をさかのぼると、飛鳥時代の蘇我馬子も、飛鳥寺という私的な寺を建てたのにもかかわらず、墓は石舞台古墳(と推定)とされます。
お寺という「聖域」と、埋葬地を分けているのです。
お寺の境内に墓地がある現在とは、考え方がちがうのですね。
つまり、遺骨や遺体は無いけど、ある意味お墓の機能を果たすのが「八角円堂」。
亡くなった人を追慕して、その人にゆかりのある仏像を安置します。
藤原不比等の場合は、弥勒のいる兜率天をめざしていたので、弥勒仏を本尊として安置したというのは、先週この連載でご紹介したところです(「あわせて読む」記事参照)。
しかし! ここでまた素朴な疑問が。
「円堂」というのに、なんで八角形なの?
という、まことに素朴が疑問がまだあります。
どうでもいいじゃんと言われそうですが、一度気になると気になって晩酌が進まない。
というわけで次週につづきます。
それでは聴いてください。
宮澤やすみで「馬子と石舞台」
特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」
2025年9月9日(火)~11月30日(日)
東京国立博物館 本館特別5室
詳細:
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/unkei2025/index.html
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『廓の夜』 宮澤やすみ(唄、三味線、解説)
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宮澤やすみ出演情報(これからとこれまで)まとめ
https://yasumimiyazawa.com/live.html
宮澤やすみ公式サイト:
https://yasumimiyazawa.com



