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第497回 上野の繁華街で見つけた歴史の痕跡 ―五條天神―
”旧町名が無くなると歴史も埋もれてしまうという例で――”
音楽家で神仏研究家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。
こんにちは。現代活動弁士のレジェンド・澤登翠さんとの共演を終えた宮澤やすみです。お客様にも演奏が大好評いただき、ひと山越えたような心持です。この先もいろいろ出番あるので、下記「出演情報」ご覧ください。
そんな中、8月も終わり、秋が待たれる昨今、この夏の個人的寺社さんぽを振り返ります。
自分の出演の打ち合わせで上野を訪れ、時間があったのでアメ横を歩くと、こんなものがありました。今まで気づかなかった。

ヨドバシカメラ裏の一角にある
上野の鎮守・五條天神の旧地です。
もともと現・上野公園の中にあった神社です。
少彦名命(スクナヒコナ)と大己貴神(オオナムチ)が主祭神です。この二神のペアは「薬祖神」といわれ、各地で医薬神として祀られています。
ヤマトタケルがこの地を訪れた時に具合が悪くなったところ、この両神のおかげで助かったというのが創建伝承。ようするにかなり古くからあるという神社です。

五條天神旧社地跡の文字がみえる
この地は忍が岡といって、古代から何かしら重要な場所だったみたいですね。
その痕跡が、今も上野公園内にある摺鉢山古墳で、これ以外にも古墳があったそうです。

上野公園内にある摺鉢山古墳
五條天神の創建は、この摺鉢山古墳の上に祠が置かれたのが最初なのだそうです。
その後、徳川幕府の寛永寺の建設にともなった、この上野周辺の各所に移転しました(五條天神の公式サイトにくわしく出ています)。
ちなみに、摺鉢山古墳上には寛永寺の清水観音堂が建ちました。
ここアメ横の一角には、元禄10年に遷座してきて、「五條天神門前町」として町家が形成されたそうです。
「門前町」という町名は昭和39年に「上野4丁目、6丁目」に改称。これ、旧町名が無くなると歴史も埋もれてしまうという例ですね。

場所柄、鉄格子で厳重に守られていて、石碑が見えない
現在の五條天神は、上野公園の丘を降りて不忍池に面したあたりに建っています。
菅原道真も合祀されていて、社紋が二種類あるのも興味深いですね。
「粟穂」が薬祖神、「星梅鉢」が菅原道真ですね。

現在の五條天神
私がいつものクセで素朴な疑問をもってしまうのですが、なぜ「五條」という社号がついたのか気になります。
上野の地は、比叡山延暦寺をまねた寛永寺や、琵琶湖をまねた不忍池など、なにかと京都の鬼門の拠点をまねています。まねたというか、オマージュといえばいいですかね。
そして、京都には平安京の病を封じる五条天神があり、非常に古い薬祖神の神社ですが、上野の五條天神もこれにならってできたのでしょうか。
しかし、室町時代のお坊さんの日記に「忍が岡の五條天神」とあるそうなので、江戸時代の「上野の京都オマージュ」より古くから「五條」という社号なんですね。
どこから「五條」とついたのか不思議です。

石碑を背にして見える景色。ガード下の暗い路地からアメ横につながる
今後なにかわかったらまたお知らせします。
それでは聴いてください。
宮澤やすみ で「マイケルの(Mr. Michael Schenker)」。
(アルバム『小唄橋』より)
参考
医薬祖神 五條天神
https://www.gojoutenjinsha.com/
■あわせて読む(関連記事)
増上寺は本当に「江戸の裏鬼門」なのか?寺社と古墳のネットワーク
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20221122-2/
--おしらせ---
本コラム筆者・宮澤やすみ関連情報
1.
宮澤やすみ出演情報(これからとこれまで)まとめ
https://yasumimiyazawa.com/live.html
宮澤やすみ公式サイト:https://yasumimiyazawa.com
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こんにちは。現代活動弁士のレジェンド・澤登翠さんとの共演を終えた宮澤やすみです。お客様にも演奏が大好評いただき、ひと山越えたような心持です。この先もいろいろ出番あるので、下記「出演情報」ご覧ください。
そんな中、8月も終わり、秋が待たれる昨今、この夏の個人的寺社さんぽを振り返ります。
自分の出演の打ち合わせで上野を訪れ、時間があったのでアメ横を歩くと、こんなものがありました。今まで気づかなかった。

ヨドバシカメラ裏の一角にある
上野の鎮守・五條天神の旧地です。
もともと現・上野公園の中にあった神社です。
少彦名命(スクナヒコナ)と大己貴神(オオナムチ)が主祭神です。この二神のペアは「薬祖神」といわれ、各地で医薬神として祀られています。
ヤマトタケルがこの地を訪れた時に具合が悪くなったところ、この両神のおかげで助かったというのが創建伝承。ようするにかなり古くからあるという神社です。

五條天神旧社地跡の文字がみえる
この地は忍が岡といって、古代から何かしら重要な場所だったみたいですね。
その痕跡が、今も上野公園内にある摺鉢山古墳で、これ以外にも古墳があったそうです。

上野公園内にある摺鉢山古墳
五條天神の創建は、この摺鉢山古墳の上に祠が置かれたのが最初なのだそうです。
その後、徳川幕府の寛永寺の建設にともなった、この上野周辺の各所に移転しました(五條天神の公式サイトにくわしく出ています)。
ちなみに、摺鉢山古墳上には寛永寺の清水観音堂が建ちました。
ここアメ横の一角には、元禄10年に遷座してきて、「五條天神門前町」として町家が形成されたそうです。
「門前町」という町名は昭和39年に「上野4丁目、6丁目」に改称。これ、旧町名が無くなると歴史も埋もれてしまうという例ですね。

場所柄、鉄格子で厳重に守られていて、石碑が見えない
現在の五條天神は、上野公園の丘を降りて不忍池に面したあたりに建っています。
菅原道真も合祀されていて、社紋が二種類あるのも興味深いですね。
「粟穂」が薬祖神、「星梅鉢」が菅原道真ですね。

現在の五條天神
私がいつものクセで素朴な疑問をもってしまうのですが、なぜ「五條」という社号がついたのか気になります。
上野の地は、比叡山延暦寺をまねた寛永寺や、琵琶湖をまねた不忍池など、なにかと京都の鬼門の拠点をまねています。まねたというか、オマージュといえばいいですかね。
そして、京都には平安京の病を封じる五条天神があり、非常に古い薬祖神の神社ですが、上野の五條天神もこれにならってできたのでしょうか。
しかし、室町時代のお坊さんの日記に「忍が岡の五條天神」とあるそうなので、江戸時代の「上野の京都オマージュ」より古くから「五條」という社号なんですね。
どこから「五條」とついたのか不思議です。

石碑を背にして見える景色。ガード下の暗い路地からアメ横につながる
今後なにかわかったらまたお知らせします。
それでは聴いてください。
宮澤やすみ で「マイケルの(Mr. Michael Schenker)」。
(アルバム『小唄橋』より)
参考
医薬祖神 五條天神
https://www.gojoutenjinsha.com/
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1.
宮澤やすみ出演情報(これからとこれまで)まとめ
https://yasumimiyazawa.com/live.html
宮澤やすみ公式サイト:https://yasumimiyazawa.com


