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第8回 西田哲学で解き明かす仏像経験


西田幾多郎『善の研究』

第6回第7回のコラムでは、仏像を見る人の心と、仏像が一体をなしているような経験について考えてきました。このような、心と対象が一体をなした自由闊達な状態に関する理論は、二十世紀初頭の哲学の中にも見られます。

哲学者の西田幾多郎は禅の修行に打ち込んだ経験をもつとともに、西洋の最先端の心理学や哲学を踏まえて、日本で最初の独創的な哲学書と呼ばれる『善の研究』(1911年)を著しました。哲学書でありながら120万部以上売れている異例のベストセラーであるこの書の中に、心とその対象の一体性に関する理論が記されています。

西田幾多郎(1870年-1945年)


西田哲学で解き明かす仏像経験

西田の議論の骨格は、人間は、心(主観)と対象(客観)が一体となっている「主客未分」の状態から、心とその対象が離れている「主客分離」の状態へ、そして、そのように分離されたものが、再び一つとなっている「主客合一」の状態へ高められるサイクルの中で生きているというものです。

「主客未分」の状態の一例として西田が出しているのは、「色を見、音を聞く刹那」(1)といわれるように、知覚の場面です。

音楽を聴く場合、この曲の作者は誰だろうかとか、今の部分をもう一度聴きたいなどといった意識が生じると、音楽とそれを聴いている自分の一体性が崩れて、「主客分離」の状態となります。この状態では、自分と物が離れて、知識を得たり、欲求を満たしたりするための試行錯誤が行われます。

試行錯誤を通して、好奇心や欲求が満たされると、再び、音楽とそれを聴く自分が一つとなった「主客合一」の状態に入ることになります。西田は、このような状態のときの心が、最も活発に働いており、自由であると考えます。

西田は、音楽を聴いたり、宗教的経験をしたりするような、身体をほとんど動かさない場面だけを、純粋経験の例だと考えるわけではありません。

「例へば一生懸命に断崖を攀(よ)づる如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き」(2) と言われているような、身体を活発に動かしている場面も、純粋経験の例に挙げています。

仏像をじっと眺めることによって、心が仏像と一体となった集中状態は、音楽を聴いたり座禅をしたりするような種類の「主客合一」の状態として理解することができるのではないでしょうか。

西田は、このような主客の統一と分離を繰り返すプロセスによって、知識が深くなり、能力が向上し、心が豊かになっていくと考えています。

仏像を対象とする集中型瞑想も、学習や思考を通して仏像に関する理解を深める、また、人生経験を深めることで、より深く豊かなものとなっていくのではないでしょうか。

脚注
(1) 西田幾多郎 『西田幾多郎全集』第1巻/岩波書店(1965年)9頁
(2) 同書/11頁

読書案内
西田幾多郎 『西田幾多郎全集』第1巻/岩波書店(1965年)
西田幾多郎 『善の研究<全注釈>』/講談社学術文庫(2006年)

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執筆者: 岡田基生
上智大学大学院哲学研究科・博士前期課程修了。専門は、京都学派の哲学。論文に、「歴史の動きに関する基礎的研究―後期西田哲学を手がかりとして―」(『哲学論集』/上智大学哲学会/2017年)、「新しい知識人のタイプの構成―三木清の人間タイプ論を手がかりに―」(『人間学紀要』/上智人間学会/2018年)などがある。