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第3部 幸せって何だか、わかったよ 第3回 幸せの話にはいくつかの種類がある
こんにちは!一笑仏工房の中の人、あんどぅ☆ななせです( ^ω^ )
前回は、子供が得てして明るく幸せそうだという話をしました。
今回からはまたHIKIPOSに戻って幸福と不幸のエピソードをご紹介して行こうと思いますが…最初にお伝えしたいことがあります。
それは、色々なエピソードを俯瞰してみたとき、「幸せ」という一つのテーマで書かれてはいるものの、実は異なる「幸せ」について書かれていることに気付いた、ということです。
つまり、人が幸せについて語るとき、その論点はいくつかの種類に分類できることがわかったんです。
整理して見ると、大体4種類に分類されることがわかりました。一つ一つは重なっている部分もあるんですけど、どこに重点を置くかで分けています。
■幸せの論点1・・・欲望が満たされる幸せ
これはよく、「幸せって何だと思う?」なんて軽く人に聞いて見ると、「え~~、美味しいもの食べれば幸せ!」なんて答えが返ってくることがありますよね。
根本的な生命としての欲望を満たすこと…。それは生きるために体にプログラムされているので、満たされれば快感を得るように体が出来ているんです。
仏教的には、快感は執着しなければ別に悪いことじゃないと思いますが、現実に美味しいものを食べ続ければ幸せかと言うと、そうではないですよね。
ただ刹那的に快感を得るだけだし、あんまり食べ続けると病気になることもあります。太り過ぎて死んでしまうことも!
あぁ無常…ですね。
■幸せの論点2・・・上位になる幸せ
「上位になりたい」というのも欲望の一種なので1と重なりますが、より精神的な欲望のことです。特に上位を求めることは、人間社会の幸せ(という妄想)に大きく関わっているようです。
「幸せになりたいな~」とボンヤリ思うときの「幸せ」は、この「上位になる幸せ」を指しているんだと思います。
だいたい私たちは資本主義社会で生きているので、お金をより多く稼ぐことが人生の第一目標だし、勝ち組になることを求めて生きています。
金持ちは貧乏人を蔑むし、貧乏人は金持ちを羨ましがります。
ここから端を発して、「勉強が人より出来ること」「仕事が人より出来ること」「より美しいこと」などなど…とにかく上位を求め、人と比べ、勝ちたい勝ちたいと思って生きています。
後でHIKIPOSのエピソードとしてご紹介しますが、勝ち組になることが出来ず立ち上がれなくなってしまった子供を、親がとにかく立たせようとして追い詰めてしまうことが多いようです。
では上位になれれば幸せかと言うと、そうではないですよね。
金持ちは金持ちなりの、貧乏人は貧乏人なりの苦しみを抱えて生きています。
「あ~~、宝くじが当たって大金持ちになったら幸せなのになー」なんてよく人は思いますが、妄想です。
「大学に受かったら幸せなのにな」「結婚できたら幸せなのにな」「子供がいたら幸せなのにな」などなど、全部妄想です。
大金持ちになっても、受験に成功しても、玉の輿に乗っても、「勝った」と言う幸福感は最初のうちだけ。また苦しみに満ちた日常が戻って来ます。
つまり…「幸せになりたいな~」と思うときの「幸せ」なんてものは、存在しないんです!
■幸せの論点3・・・妄想が無いことの幸せ
これは前回ご紹介した、子供が幸せそうだと言うときの幸せです。「上位になりたい」と思うときの、何が上位かと言う価値観も妄想なので2と重なりますが、より「不安」と言う妄想にフォーカスしています。
大人はとにかく様々な妄想を抱えて自分を苦しめていますよね。「お金が無い」「仕事が無い」「人より劣っている」「貯蓄が無くて老後が不安」などなど…。
子供のようになれたらどんなにいいだろうと思いますけど、現実にはそうもいかないです。ぼーっとしていたって、明日払わなければいけない家賃を誰かが払ってくれるわけでもない。
人間社会で生きる以上、妄想が無くて超幸せ!なんて状態は無理だと思います。
ある意味障害がある人の方が、そのような幸せを実現しているのかもしれませんが、そうもいかない人も多いはず。
瞑想修行したお坊さんだって、お寺の経営で頭を悩ませることがあるでしょう。
でもちょっと考え方を変えて、「その家賃を払わなかったらもう本当に終わりなの?それならそれでいいんじゃね?」と気軽に構えることは出来ます。
妄想に囚われている自分に気付くことが、不幸に陥りやすい人の突破口かもしれません。
仏教的に言うなら、「貪瞋痴」の「痴」を取り除くということですね!
■幸せの論点4・・・承認される幸せ
「承認欲求」も欲望の一種なので1と重なりますが、特に幸せの仕組みに関わる部分なので分けてみました。
第1回の丸子さんの不幸は、自分で自分を承認出来ないことにあると思います。自己否定が不幸を生んでいます。
HIKIPOSの投稿の多くも、子供が親に全否定されて苦しんでいる話です。親は子供にとって社会の代表ですから、社会から否定された気持ちになるんですね。
否定は不幸を生みますが…逆に言えば、自分で自分を承認し、周りの人たちを承認し受け入れていくことは、幸せの鍵となる部分じゃないでしょうか!
いかがでしょうか。幸せって何だか、わかった気がしませんか?
次回は更に具体的なエピソードをご紹介していきます。
前回は、子供が得てして明るく幸せそうだという話をしました。
今回からはまたHIKIPOSに戻って幸福と不幸のエピソードをご紹介して行こうと思いますが…最初にお伝えしたいことがあります。
それは、色々なエピソードを俯瞰してみたとき、「幸せ」という一つのテーマで書かれてはいるものの、実は異なる「幸せ」について書かれていることに気付いた、ということです。
つまり、人が幸せについて語るとき、その論点はいくつかの種類に分類できることがわかったんです。
整理して見ると、大体4種類に分類されることがわかりました。一つ一つは重なっている部分もあるんですけど、どこに重点を置くかで分けています。
■幸せの論点1・・・欲望が満たされる幸せ
これはよく、「幸せって何だと思う?」なんて軽く人に聞いて見ると、「え~~、美味しいもの食べれば幸せ!」なんて答えが返ってくることがありますよね。
根本的な生命としての欲望を満たすこと…。それは生きるために体にプログラムされているので、満たされれば快感を得るように体が出来ているんです。
仏教的には、快感は執着しなければ別に悪いことじゃないと思いますが、現実に美味しいものを食べ続ければ幸せかと言うと、そうではないですよね。
ただ刹那的に快感を得るだけだし、あんまり食べ続けると病気になることもあります。太り過ぎて死んでしまうことも!
あぁ無常…ですね。
■幸せの論点2・・・上位になる幸せ
「上位になりたい」というのも欲望の一種なので1と重なりますが、より精神的な欲望のことです。特に上位を求めることは、人間社会の幸せ(という妄想)に大きく関わっているようです。
「幸せになりたいな~」とボンヤリ思うときの「幸せ」は、この「上位になる幸せ」を指しているんだと思います。
だいたい私たちは資本主義社会で生きているので、お金をより多く稼ぐことが人生の第一目標だし、勝ち組になることを求めて生きています。
金持ちは貧乏人を蔑むし、貧乏人は金持ちを羨ましがります。
ここから端を発して、「勉強が人より出来ること」「仕事が人より出来ること」「より美しいこと」などなど…とにかく上位を求め、人と比べ、勝ちたい勝ちたいと思って生きています。
後でHIKIPOSのエピソードとしてご紹介しますが、勝ち組になることが出来ず立ち上がれなくなってしまった子供を、親がとにかく立たせようとして追い詰めてしまうことが多いようです。
では上位になれれば幸せかと言うと、そうではないですよね。
金持ちは金持ちなりの、貧乏人は貧乏人なりの苦しみを抱えて生きています。
「あ~~、宝くじが当たって大金持ちになったら幸せなのになー」なんてよく人は思いますが、妄想です。
「大学に受かったら幸せなのにな」「結婚できたら幸せなのにな」「子供がいたら幸せなのにな」などなど、全部妄想です。
大金持ちになっても、受験に成功しても、玉の輿に乗っても、「勝った」と言う幸福感は最初のうちだけ。また苦しみに満ちた日常が戻って来ます。
つまり…「幸せになりたいな~」と思うときの「幸せ」なんてものは、存在しないんです!
■幸せの論点3・・・妄想が無いことの幸せ
これは前回ご紹介した、子供が幸せそうだと言うときの幸せです。「上位になりたい」と思うときの、何が上位かと言う価値観も妄想なので2と重なりますが、より「不安」と言う妄想にフォーカスしています。
大人はとにかく様々な妄想を抱えて自分を苦しめていますよね。「お金が無い」「仕事が無い」「人より劣っている」「貯蓄が無くて老後が不安」などなど…。
子供のようになれたらどんなにいいだろうと思いますけど、現実にはそうもいかないです。ぼーっとしていたって、明日払わなければいけない家賃を誰かが払ってくれるわけでもない。
人間社会で生きる以上、妄想が無くて超幸せ!なんて状態は無理だと思います。
ある意味障害がある人の方が、そのような幸せを実現しているのかもしれませんが、そうもいかない人も多いはず。
瞑想修行したお坊さんだって、お寺の経営で頭を悩ませることがあるでしょう。
でもちょっと考え方を変えて、「その家賃を払わなかったらもう本当に終わりなの?それならそれでいいんじゃね?」と気軽に構えることは出来ます。
妄想に囚われている自分に気付くことが、不幸に陥りやすい人の突破口かもしれません。
仏教的に言うなら、「貪瞋痴」の「痴」を取り除くということですね!
■幸せの論点4・・・承認される幸せ
「承認欲求」も欲望の一種なので1と重なりますが、特に幸せの仕組みに関わる部分なので分けてみました。
第1回の丸子さんの不幸は、自分で自分を承認出来ないことにあると思います。自己否定が不幸を生んでいます。
HIKIPOSの投稿の多くも、子供が親に全否定されて苦しんでいる話です。親は子供にとって社会の代表ですから、社会から否定された気持ちになるんですね。
否定は不幸を生みますが…逆に言えば、自分で自分を承認し、周りの人たちを承認し受け入れていくことは、幸せの鍵となる部分じゃないでしょうか!
いかがでしょうか。幸せって何だか、わかった気がしませんか?
次回は更に具体的なエピソードをご紹介していきます。