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第三部 連載51回目(最終回) さとりへの道はない。さとりこそが道だから。
![](https://www.butuzou-world.com/wp-content/uploads/2019/06/45d9ee7a237bf9a6b767880c161a979a.jpg)
みなさん、こんにちは!
一年間、毎週たのしく連載させていただいていた、
この「小出遥子のさとり探究記」。
今回、ついに最終回となります。
ということで、最後の最後に「総まとめ」的な記事を書いていきます。
どうかお付き合いくださいませ。
この連載、とくに第三部が始まってからは、
「さとり」の世界を、いかに日常の中で味わっていくか、
いかに自分の心身まるごとで、直に「さとり」を体感していくか、
そのあたりに焦点をしぼってお話を進めてきました。
その中で、私は、とくに、「瞑想」のような手法を使って、
「さとり」を体感していく道を、みなさんにお伝えしてきました。
これが、いちばんダイレクトに「さとり」を理解する道だと思ったからです。
しかし、最後にお伝えしたいのは、「さとり」を体感する道は、
なにも、ここで書いてきたようなものだけではない、ということです。
瞑想もそうだし、ヨガもそう。
スポーツも、料理も、子育ても、仕事も、ぜんぶそう。
はっきり言って、道は無数にあるのです。
なぜなら、「さとり」は、そのまま世界のすべて、宇宙のすべてだからです。
ベトナム人禅僧、ティク・ナット・ハン氏が、こんなことをおっしゃっています。
「ニルヴァーナ(涅槃)への道はない。ニルヴァーナこそが道だから」
この「ニルヴァーナ(涅槃)」は、そのまま「さとり」ということばに置き換えられます。
「さとりへの道はない。さとりこそが道だから」
「さとり」は決して遠い世界のお話じゃない。
いつだって「いま・ここ・自分」とともにある世界。
それこそが「さとり」なのだ、と……。
そんなことを、ただ、繰り返し話しつづけてきた「小出遥子のさとり探究記」。
おたのしみいただけたでしょうか?
かなり抽象度の高いテーマだったので、私自身、途中で何度もくじけそうになりましたが、
こうして、無事、一年間の連載を終えることができてホッとしています。
みなさま、ここまでお読みくださって、ほんとうにありがとうございました。
さとり探究に終わりはありません。
旅の途中で、また、どこかでお会いできることをたのしみにしています。
その日まで、どうか、お元気で。
(終わり)
※毎朝6時よりツイキャスにて「ラジオ瞑想」という番組を生配信しています。
こちらのコラムで書いているような内容(「さとり」を体感する道)を、「瞑想」というかたちでシェアしています。
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