- HOME
- 小出遥子のさとり探究記
- 第三部 連載50回目 自分には、なにもできない?
第三部 連載50回目 自分には、なにもできない?
![](https://www.butuzou-world.com/wp-content/uploads/2019/06/a37dea442df99aaf3f35f484c2e4d22b.jpg)
みなさん、こんにちは!
この連載もついに最終回イブ!(こんなことばあるのか? 笑)
名残惜しいですが、最後まで全力で「さとり」のことを書いていきますよ!
よろしくお願いいたします!
この連載の第三部では、ずっと、「さとり」というものを、
あたまだけで理解するのではなく、
からだまるごとで生きていく道について、詳しく解説し続けてきました。
そう。なににおいても、大事なのは「体感」。
とくに「おなか」での、理解を超えた理解。
文字通り「腑に落ちる」という感覚なのです。
かと言って、あたまでの理解を、無理やり「腑に落とそう!」としても、
そう簡単にはいかないのは、みなさんもよくご存知のことだと思います。
おなかでの理解を超えた理解は、“自力”では成し得ないものです。
“他力”にすべてを委ね切ってしまったとき、おのずと理解されてくるのが、
「さとり」の世界というものだからです。
じゃあ、自分にはなにもできないのか?
なすすべなしなのか?
さとりたくてもさとれない自分はどうすればいいんだ?
……と無力感に打ちひしがれてしまうかもしれませんが、
どうか、落ち着いてください。
これは、それとはちょっと趣の違う話なんです。
「自分には、なにもできない」わけじゃなくて、
「そもそも、なにかができる“自分”なんかどこにもいない」んです。
いま、ここにあるのは、全体の動き、つまりは仏の力、他力だけ。
そして、その他力を感じるのが、個人個人の「おなか」なんです。
おなかで、ただ、感じてみてください。
それを感じること自体が、「さとり」そのものなんです。
かなり抽象的な話になってしまいましたが、これまでの連載をお読みくださっている方なら、
なにか、あたまでの理解を超えて、腑に落ちるものがあるはずです。
大事なのは、あたまで考えることじゃなく、おなかで感じること。
耳にタコができるほど繰り返しお伝えしてきたことですが、
最終回を前に、もう一度、強調しておきたくなったので、書いてみました。
さて、次回でいよいよ最終回!
最後まで、お付き合いよろしくお願いいたします!
次回へ続きます!
※毎朝6時から6時半まで、ツイキャスにて「ラジオ瞑想」という番組を生放送しています。
こちらの連載で書いているような内容(「さとり」を体感する道)を、「瞑想」というかたちでシェアしています。
登録不要、無料でお聞きいただけます。どなたさまも、お気軽にご参加くださいね。
ラジオ瞑想
毎朝6:00-6:30
https://ssl.twitcasting.tv/haruko_koide