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第三部 連載49回目 おなかの感覚は「正しさ」につながっている
みなさん、こんにちは!
この連載も、残すところあと3回。
ということで、今回も、第三部の総仕上げ的な記事を書いていきます。
前回の記事の最後の方で、
人間(自力)はしょっちゅう間違いますが、仏(他力)は絶対に間違いません。
仏の意志にまかせて生きていくことは、そのまま「正しい」道につながっていきます。
というようなことを書きました。
今日は、この「正しさ」という概念について書いてみたいと思います。
仏教には、「八正道」というコンセプトがあります。
1.正 見(しょうけん)
2.正思惟(しょうしゆい)
3.正 語(しょうご)
4.正 業(しょうごう)
5.正 命(しょうみょう)
6.正精進(しょうしょうじん)
7.正 念(しょうねん)
8.正 定(しょうじょう)
の8つの道です。
この「八正道」、一般的には「悟りに至るための、8つの修行法」というふうに解説されることが多いようですが、
私は、ここに「正しい」という字が使われていることに注目したいのです。
ここでの「正しさ」とは、言うまでもなく、
「人間が、あたまで自分勝手に考える正しさ」のことではなく、
「仏が、人間のおなかの感覚を通して伝える正しさ」のことです。
結局、前回と同じ結論になってしまうのですが(笑)
やはり、「あたまで考える気持ちよさ」ではなく、
「おなかで感じる心地よさ」に従って、
物事を見て(正見)、物事を考え(正思惟)、
ことばを用い(正語)、行動をして(正業)、
規律を守り(正命)、努力を惜しまず(正精進)、
信念を持ち(正念)、さとりに向けてこころを定める(正定)。
これが、結局は、いちばんの「修行」であり、
仏の意志を直に生きていく「道」になるのですね。
なににおいても、ただただ愚直に、自分のおなかの感覚に従って生きていくこと。
仏道修行は、シンプルすぎるほどにシンプルです。
次回へ続きます!
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