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第三部 連載48回目 おなかの感覚を通して、仏の意志を生きる
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みなさん、こんにちは!
今回も、引き続き、第三部の総仕上げ的な記事を書いていきます。
前回の記事では、
「あたまで考える気持ちよさ」ではなく、
「おなかで感じる心地よさ」を羅針盤にして行動を選びましょう、
それが、「さとり」の世界を直に生きていく秘訣です。
……といったようなことをお伝えしました。
なぜ、「おなかで感じる心地よさ」を基準にして生きていくことが、
直に「さとり」を生きていくことにつながっていくのか?
答えは簡単です。
「おなかで感じる心地よさ」は、自分の力では、絶対に選べないからです。
「考える」ことは自力の領域だけれど、「感じる」ことは他力の領域だからです。
ほんの少し振り返ってみればわかります。
なにをしている時でもいい、これまでの人生の中で、
自分がおなかの底から「心地よさ」を感じた瞬間を思い出してみてください。
その「心地よさ」って、自分で選び取ったものでしたか?
違いますよね。
理由はよくわからないけれど、気がついたときには、説明のつかない「心地よさ」に包まれていた……
そんな感覚があるのではないでしょうか。
つまり、「心地よさ」は、人間(自力)の領域のものではなく、
仏(他力)の領域のものだ、と言うことができます。
人間が、みずから「心地よさ」を選択することは不可能です。
「心地よさ」は、仏の側から人間の側に与えられるものだからです。
人間にできることは、与えられた「心地よさ」を、ただ、受け取ることだけ。
これを逆から言えば、「心地よさ」にしたがって生きていくことは、
そのまま、仏の意志にしたがって生きていくことになる、ということです。
そして、仏の意志にしたがうことは、そのまま「さとり」を生きることです。
人間(自力)はしょっちゅう間違いますが、仏(他力)は絶対に間違いません。
仏の意志にまかせて生きていくことは、そのまま「正しい」道につながっていきます。
自力と他力については、また、次回以降、詳しくお話しますね。
引き続き、よろしくお願いいたします!
次回へ続きます!
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