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神社で拝む?お寺で拝む?

明日はクリスマスですが、お寺と神社の話です(笑)

こないだ、某テレビ局のディレクターさん(女性)と仏像めぐり企画の打ち合わせしまして、そこで聞いた言葉が、

 

「私、お寺では何もお願いしちゃいけないのかと思った」

 

というものでした。 試験合格とか、彼氏ほしいみたいな願い事は神社に限る、お寺は葬式あるし修行するし厳粛な場、と思っていたそうです。

日頃、ブツ業界(?)にいるとそういう一般女性の感覚ってわからないもので、新鮮な言葉でした。

まあ、クリスマスにミサに行く人だって(熱心な信徒の方を除いて)ほとんどいないんだし、世間一般そんなに宗教に関わることってないから、そんなもんかもね。

私だって、どこそこの信徒とかいうのはまったくなく、いたって普通の日本人的宗教観で暮らしています。

ただ、仕事上お寺さんと神社さんの両方を取材していて、そこから聞いた話ですと、さきほどの女性の感覚とは真逆とも言える宗教観が見えてきました。

 

まず神社のカミさまですが、今でこそ「縁結び」などご利益を謳ってますが、もともとを辿ると少しちがう。原始の古代社会、大自然を神とみなしていたのが日本のカミの原点。災害が起きれば「神のお怒りじゃ」として、荒ぶる神に供物を捧げた。

時代が下って、平安貴族の時代になっても、雷が落ちると「怨霊のしわざじゃ」となって恐ろしい怨霊を鎮めようと必死な思いで、平安京に神社がたくさんできた。 だから、古い時代のカミは怖いものだったんですね。

 

いっぽう、お寺ですけど、たしかに怖い仏もいますが、観音さんなんかは「現世利益」をウリにしてましたから、これこそ日頃のくらしの欲求を満たすような願い事をしてもいいことになる。

以前取材したお寺のご住職は、「もうね、煩悩をどんどんぶつければいいんです」とおっしゃってました。 だから、本来の信仰のかたちを想うと、お願い事を叶えるにはお寺のほうがよさそうな気もします。

 

何百年も経つうちに、そういう区別はうやむやになって、天神様で合格祈願とか、縁結びだの金運だのと言われるようになりました。 それはなにしろ、寺社どちらも、人に来てもらわないと経営が成り立ちませんからね、需要に応えないとやっていけません(急にぶっちゃけた話ですみません)。

いっぽう、参拝するほうからすれば、 「効き目のあるところならどこでも」 お願いしたくなるのが人情。 そりゃもう人間、欲望がつきないもんですよ。私だって煩悩まみれのダメ人間ですよ!(急に開き直る)

だからお寺も神社も、人の需要に応えることは即ち煩悩に応えるということ。だから積極的にご利益を訴求するのが自然の流れ。まさに需要と供給がマッチして経済が動いています。

平安京の時代だって、神道から仏教から陰陽道まで、とにかく「効き目ありそう」なシステムを総動員して、街づくりをしてたんですから、今も昔も人間というのは変わりませんね。

冒頭の女性ディレクターさんも、この話をきっかけに「お寺のロケハンで、観音さんにめっちゃお願いしてきちゃいました」とうれしそうに話してくれました。

とりとめのない話でしたが、煩悩が経済を動かすという話(そんな話だっけ?)でした。