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仏像を“テツガク”する会 第3回イベントレポート(前編)


第3回「仏像と向き合うと、心が癒されるのはなぜか?」

仏像と向き合うことで、心が癒された――皆さまの中にも、そうした体験をされた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

2018年10月7日、東京 表参道で開催された「仏像を“テツガク”する会」は、「仏像と向き合うと、心が癒されるのはなぜか?」という超難問をテーマとしました。

どこから考えていいのかさえわからない、この難しい問いの解明に向けて、今回は
「哲学シンキング」という新しいメソッドを使って、参加者の皆さまと思索を深めていきました。

第3回「仏像を“テツガク”する会」
(対話後にフェルト阿修羅像の組み立てを楽しむ参加者の皆さん)


まず参加者の皆さまに提起していただいたのは、上記の難問に対する「答え」ではなく「さまざまな問い」です。
「仏像と向き合うと癒されるというより、癒されるために仏像に会いに行くのではないか?」
仏教徒以外の人日本人以外の人が見ても、心は癒されるのだろうか?」
いわゆる美術品と仏像は何が違うのか?仏像を見て心が癒されるとき、宗教との違いは?
モナリザの絵画を見て癒されるのと、仏像を見て癒されるのとでは、何が違うのか?」
「仏像には、母親のような愛があるのではないか?」

たくさん挙げられた問いの中から、次の二つの論点に着目し、さらに問いを深めていきました
一つは、「仏像と向き合って心が癒されるのは、どんな条件のときか?」をめぐる問い。
もう一つは、「美術品としての仏像と、宗教性やスピリチュアリティを感じさせる仏像の違いは何か?」をめぐる問いです。

イスム 阿修羅


(1)仏像と向き合って心が癒されるのは、どんな条件のときか?

この問いについては、さらに、仏像と向き合う際の空間や状況も、心の癒しに関わってくるのではないか? との問いが提起されました。

例えばお寺では、後ろ姿など仏像の全体像が見えないことがあり、厳かな雰囲気の中、「お邪魔するような感じ」でしか仏像と向き合えないことがほとんどです。
しかしだからこそ、仏像と一対一で向き合い、心が癒されるという意見も。

それに対して美術館では、360度どこからでも仏像を鑑賞できることがあります。しかし、たくさんの人が行き交う館内に展示された数多くの仏像を、来場者は次々と見ていくことになります。
興福寺で阿修羅像を見たときと、2009年に東京国立博物館で阿修羅像を見たときとでは、同じ阿修羅像であるにもかかわらず、まったく違って見えたという方もいらっしゃいました。

イスム 阿修羅(背面)


美術館は、入場料を支払い、仏像を「鑑賞するために」訪れます。
それぞれの仏像にどんな意味や歴史的背景があるかを考えながら、「アート作品」として仏像を鑑賞する方も多いことでしょう。

一方お寺は、目的意識をもたずに訪れ、何も考えずに仏像と対面することがあるのではないでしょうか。
実際、参加者の一人は、つらい気持ちのとき、理由もなくお寺を訪れたら、自然と心が癒されたと話してくれました。

このように、参加者の体験談や意見を伺ってみると、仏像と向き合うことで心が癒される条件は、目的意識をもたず、仏像と一対一で向き合うことではないかと考えられます。

その点で、美術館よりもお寺の方が、仏像と向き合い、心が癒される条件が整っている、という見解で参加者の考えが一致していきます。

……ところが会の後半、
美術品としての仏像と、宗教性やスピリチュアリティを感じさせる仏像の違いは何か?」について対話する中で、この見解が覆されていきます。

思索が深まり、新しい視点が獲得されることは、哲学的に思考することの醍醐味です。
後編では、その議論の展開を紹介していきます。

※ 阿修羅展:興福寺創建1300年を記念し2009年に東京と福岡で開催された「国宝 阿修羅展」は、のべ190万人が来場し一大阿修羅ブームが起きた。
進行役 & 執筆者 吉田幸司
博士(哲学)。日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)を経て、現在、クロス・フィロソフィーズ(株)代表取締役。上智大学客員研究員・非常勤講師などを兼任。共著書にBeyond Superlatives(Cambridge Scholars Publishing)、『理想―特集:ホワイトヘッド』(理想社)など。
Facebook: https://www.facebook.com/c.philos/