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第3部 幸せって何だか、わかったよ 第7回 幸せのフリなんて無理じゃね…!?

こんにちは!一笑仏工房の中の人、あんどぅ☆ななせです( ^ω^ )

当コラム第3部「幸せって何だか、わかったよ」では、あんどぅ☆がHIKIPOSというひきこもり当事者の雑誌を読んだときに「そうか…わかった…わかったよ…幸せって、そういうことか…」(°Д°) と閃いて、誰かに伝えたいと思ったもののうまく端的に言語化出来なかったので、少しずつエピソードを積み重ねながら伝えようとしております♪

ええ、伝えようとしておりますが…

なんだかわたくし、幸せについて考え過ぎてウツになってしまいまして(笑)

 

 

ある休日…息子たちはドタバタと走り回って部屋中散らかし放題。お菓子のゴミはテーブルの上に散らばし放題。でも注意する元気も無いんです。

 

 

 

 



 

「ちょっとゴミぐらい捨てなさいよ…」(ボソッ)

 

 

 

 

 

呟くのがやっとでした。

何でしょうね、「どうせ注意したってなんも言うことなんか聞きゃしないんでしょ」という絶望感から、大きな声を出すのも億劫なんです。

全く子供が生まれてからというもの、

注意する→言うこと聞かない→また注意する→言うこと聞かない→いい加減にしろよと激オコプンス→あまりに醜い怒り方に自己嫌悪

というループを何度となく体験してきたからでしょうか。

もう注意するのも面倒になってしまうんですね。

 

ネットニュースなんかでよく、電車で子供が暴れ放題なのに放置してケータイ見ている母親が批判されてますけどね。

私はその気持ち、よーーーくわかりますよ!

世間の目は気になるので子供が暴れているときにケータイは見ませんけどね。

「注意しないと世間的に批判されるから注意しなきゃ。でもどうせ言うことなんか聞きゃしないけどね。」ってなもんですよ。

 

もうねー、

「子供は母親が完全にコントロール出来るものだ」と誤解している世間に対して精一杯物申したい!!!

そりゃ他人が注意すれば、一瞬びっくりして言うこと聞くかもしれませんよ。

それが美談になったりもしますわさ。

でもね!!母親が言ってもそうはいかないんですよっっ!!!

殴りつけて縛り付ければ別ですけどね!!!

ハァハァ…。

 

 

 

ちょっと話が逸れましたが…

暴れまわる全く可愛くなんかない子供の騒音に耐えながら耳を塞いで横になっている時。

自分を襲うのは、ウツ…絶望…孤独…倦怠感…そんな暗いものばっかりです!

「幸せのフリをして周りの人を幸せにする」??

誰ですかそんなたわごとを言ったのは(°Д°)

(第4回 不幸な親を見て育つ子供の不幸と、そこから気付いた幸せのヒント参照)

 

ウツな時は幸せなフリなんてとても出来るもんじゃありませんよ…

ただ何もかも忘れて寝ていたい…

 



 

 

 

 

 

そうして半日寝込んだあと、夕方は旦那に子供を預けて元気に夜のお出かけをしました(・∀・)(オイ)

仕事で上京した姉と久しぶりに飲む約束をしていたんです。

色々話しているうちに、姉が私のコラムの読者であることが判明!

「幸せになろうとするのではなく、幸せのフリをすればいいんだ」という内容のコラムについては、

「それは違うよ!」と一刀両断されました!

「これ美味しいなとか、楽しいなとか、素直に表現して伝わるのが幸せなんじゃないの?フリはダメだよ!」と。

 

「いやそれは刹那的な幸せについてはそうかもしれないけど、いわゆる『幸せになりたい』という時の幸せなんてものは存在しない訳で…」

なんて言い返す言葉もシドロモドロ。机上の空論に思えて来ます。

 

ほぼアル中みたいな飲み方をする姉と、半分アル中みたいな飲み方をする私。

富裕層でネトウヨ的で自民党的な姉と、貧困層で左翼的で仏教徒的な私。

色々属性は違いますが、お互いに苦しい人生を頑張っているなぁ、と、一定の共感と友愛を感じる関係です。

 

姉に自分の幸福論を認めてもらいたい!

でも私自身、ウツな時は笑うエネルギーどころか子供にちょっと注意するエネルギーすら湧いてこないじゃないか…

 

私が間違っているのかなぁ…

 

 

 

 

ただ、「幸せのフリ」説は誤解されやすいところがあって、「フリをする」という言葉が「嘘をつく」という語感に聞こえるから「フリはダメでしょ!」と思われるんでしょうけど、違うんです。

「心が幸せを感じるのを待っていたら状況に振り回されるだけ。幸せそうな態度でいることから始めれば状況に関係なく幸せを広められる」ってことが言いたいんです。

「幸せのフリ」と言うより、「幸せの動作」と言った方がいいかもしれません。

 

でも結局、「幸せの動作」が出来る人は既に幸せになるエネルギーを持っている人なんですね。

前回ご紹介した、幸福学の前野隆司先生の著書にもありましたが、幸福学の講演を聞きに来るような人は、既に幸福因子が高い人たちなんだそうです。幸福因子が低い人たちは、幸せになる方法を探すエネルギーすら無い。

ちなみに引きこもりの人たちは幸福因子が全て低いそうです…

 

 

じゃあどうしたら「幸せの動作」をするエネルギーを持つことが出来るのか?

それがわかれば私ももっと子供に大きな声で注意出来るようになるかもしれません(笑)

 

そしてやはりその方法はどうしても瞑想にたどり着くようなんです。

 

 

(続く)