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- 小出遥子のさとり探究記
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第一部 連載4回目 小出流・仏像との向き合い方(その2)
ただ正面から仏像を拝むだけでなく、仏像と自分の目と目が合うポイントを探っていくと、ある瞬間、「像」の中から「仏」そのものの姿が立ち現れることがある、とは前回お伝えした通り。
これはもう感覚の世界のお話なので、「そうと言ったらそうなんです!」としか言えないのですが(すみません……)、でも、「像」が「仏」になる瞬間に、回路が開くような感触があるのは事実なんです。
なんの回路か?
「安心感」につながる回路です。
いま、この瞬間、自分は、絶対的に仏さまに守られている。
自分をおびやかすものは存在していない。
……そんな思いが、理屈じゃなく湧き上がってくるのです。
すると、誰にも相談できなかった悩み事が、ぽろっと自分の口からこぼれたりします。
仏さまとの「対話」がスタートするのです。
……とは言え、仏さまが、私の悩み事に具体的なアドバイスをくれたことはありません。
ただ、そのときの仏さまの表情やたたずまいがどう見えるかによって、自分の現在のあり方を探ることはできました。
自分に恥じない生き方をしているときは、仏さまはやわらかく微笑んでくれているように見えるし、
逆に、自分の生き方になんらかのごまかしがあるときは、仏さまは非常に厳しいお顔をこちらに向けているように見える……。
それによって、いまの自分のあり方を反省して、今後どのように生きていくかを決めるきっかけにしていました。
それはそれで非常に私の人生の助けにはなっていたのですが、あるとき、ふと思ったのです。
「私が見ているのは、ほんとうに仏さまの姿なのだろうか? 」って。
これは、私にとって、ひとつの大きな転換点でした。
次回へ続きます!