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- 小出遥子のさとり探究記
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第一部 連載11回目 迷子
「成仏」ということばの意味を「仏になること」と捉えた私は、どうにかしてさとりを得ようと、懸命に努力を続けました。
毎朝の坐禅に加え、目についた仏教書は、ソフトなものからハードなものまで片っ端から読みあさり、
時間があればお寺やカルチャーセンターに通って、お坊さんのお話を聞いて回る日々。
仏教だけじゃ飽き足らず、ヨガや呼吸法や食事制限などにも手を出しはじめました。
さとりに関係しそうなことは、どんどん自分の生活の中に取り入れていきました。
私は、いつの間にか、ガチガチの「探求者」になっていました。
……それでも、どうしてもさとれない。
どんなに努力をしても、仏に近づけた気がしない。
仏の世界を知れば知るほど、そこからかけ離れた自分の姿が浮き彫りになって苦しくなるというパラドックス。
「楽になりたい」。
その一心でさとり探求をはじめたのに、追い求めれば追い求めるほど苦しくなるなんて、なにかがおかしい。
でも、なにがおかしいのかがわからない。
それに、いまさら探求をやめることもできない。
どうしたら良いのか、もう、まったくわからない。
私、このまま一生苦しいままなのかな……。
完全に道を見失っていました。
迷子になっていました。
そんな私に、あるとき、思いも寄らない角度で「光」がもたらされたのです。
その「光」というのは、これまであえてスルーしてきた浄土系仏教の教えでした。
「南無阿弥陀仏」
この六文字との出会いが、私の大きな転機となりました。
次回へ続きます!