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- 小出遥子のさとり探究記
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第一部 連載12回目 「南無阿弥陀仏」という光 その1
仏の世界に憧れれば憧れるほど、いまの自分と仏との間の距離を知り、絶望感にうちひしがれる……。
そんなことを繰り返し続けていたある日、思いも寄らない方向から、私に「光」がもたらされました。
その頃、私は、とある美術系博物館の付属図書館に勤務していました。
あるとき、仕事の一環で、浄土宗開祖の法然さんと、浄土真宗開祖の親鸞さんに関する図書を収集することになったのです。
正直、そのときまで私は、浄土系仏教に、まったく興味を持っていませんでした。
いや、興味を持っていなかったどころの話ではありません。
はっきり言うと、完全に嫌っていました。
私が仏教に興味を持ったのは、単純に、救われたかったからです。
いま、この瞬間、苦しみの中にいる私を助けて欲しい。
その一心で、坐禅をはじめとするいわゆる「修行」に、懸命に打ち込んできたのです。
浄土系仏教は、その名の通り、「浄土」での救いを説く教えです。
「浄土」というのは、「あの世」のことです。
私には、それが気に入らなかったのです。
あの世での救いなんかどうでもいい!
私は、この世で、いますぐ楽になりたいんだ!
いまここで楽になれない教えなんかいらないよ!
……そんな風に思っていたのです。
だから、法然さんと親鸞さんに関する図書を集める仕事も、ロボットのように、超・事務的にこなしていました。
そんなある日、私は、法然さんのご臨終の様子が書かれた本を見つけました。
パラパラとページをめくり、何気なく目を通したその本の内容に、私は、頭をかち割られるほどの衝撃を覚えることになったのです。
次回へ続きます!