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第13回 「南無阿弥陀仏」という光 その2



「さとり迷子」とも呼ぶべき状態に置かれていた私は、あるとき、仕事の一環で、浄土系仏教に関する図書を収集することになりました。

その中の一冊に、浄土宗開祖 法然さんのご臨終のシーンが描かれた本がありました。

その内容に、私は、ほんとうに大きな衝撃を覚えたのです。



死を目前にした法然さんに、お弟子さんのひとりが、こう尋ねたそうです。

「お師匠さまは、ほんとうに極楽に向かわれるのですか?」

お弟子さんのまっすぐな問いかけに対して、法然さんは、少しも動じる様子もなく、穏やかに、こんな風にお答えになったそうです。

「私はもともと極楽にいたのだから、ただ、そこに戻るだけだ」



「私はもともと極楽にいたのだから」



このことばに、私は、まさしく雷に打たれたようなショックを覚えました。

と、同時に、私自身の長年の「勘違い」が打ち砕かれ、一気に崩れ去っていくのを感じました。



「さとり」の境地は、「仏」の住処(すみか)は、ここから遠く離れた場所にあるわけじゃない。

いまここに、まさしく、いま、ここに、それは、ただ、「ある」じゃないか……。



かつて、非常にこころを動かされた、空海さんのことばが、大変な臨場感をもって、再び、世界中に響き渡っていくのを感じました。



「仏法遥かにあらず。心中にしてすなわち近し」



さとり探究をはじめて以来、少しずつもらっていた「気づき」が、「南無阿弥陀仏」の六文字のもとに、一気につながっていくのを感じました。



そのとき、私になにが起こったのか、どんな風に「気づき」がつながっていったのか、

これだけじゃあまりに抽象的すぎるので(笑)次回、もう少し具体的に書いてみたいと思います。



ということで……続きます!