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第二部 連載17回目  大切なのは「排除」より「受容」




さとりを「探求」していた頃の私は、


悲しみや怒り、みじめさ、やるせなさなどの「ネガティブ」な感情を、


必死で「排除」しようとしていました。






それらが私の世界から完全に消えてなくなれば、


そのときはじめて、私のこころに平安が訪れるのだろう。






本気でそう思っていたんです。






でも、この連載の第一部で書いてきたように、そのやり方では決してうまくいきませんでした。






ネガティブなものは、この世界に存在してはいけない。


「消えてなくなれ!」「あっちへ行け!」「もう二度と姿を現さないで!」






そう叫べば叫ぶほど、その気持ちが「とりもち」のようになって、


余計にネガティブな感情を連れてきました。






でも、あるとき、ふと気づいたのです。


自分が「ゆるせない」と思っている感情たちは、


「ゆるされている」から存在しているのだ、ということに。






この世にあるすべては、仏(と便宜上呼ばれているなにか)に、


完全にゆるされ、愛されているからこそ、


いまここに存在できているのです。






なにかを「ゆるせない」と思っている自分すら、


完全にゆるされ、愛されているのです。






そのことに目を見開かされた瞬間、一気に力が抜けていきました。


と同時に、たとえようのない安心感に包まれました。






もう、なにかを「敵」と見なして、必死で「排除」しようとしなくていい。


なぜなら、すでに、すべては「受容」されているから。






ここで大事なのは、「受容」はすでに(仏の手によって)なされている、ということ。






無理になにかを「受けいれよう」としなくていいんです。


人間は、ただ、「受けいれられている」という安心感の中でくつろいでいればいんです。


くつろげないときは、くつろげない自分すら、


すでに完全に「受けいれられている」ということに、


そっと思いをいたすだけでいいんです。






大切なのは「排除」より「受容」。


これが、「探究」の基本態度です。






次回へ続きます!