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- 小出遥子のさとり探究記
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第二部 連載21回目 「おのずから」起こってくる
「さとった人」というと、一般的には、
いい感じにリラックスして、余分な力が抜けていて、
口元にはいつだって穏やかな笑みをたたえていて、
他者に対して決して腹を立てることのない人……
そんな、「仙人」や「聖人君子」のようなイメージを持たれているかもしれません。
でも、「さとり」って、実際には、そんなたいそうなものじゃありません(笑)。
「さとり」の世界を体感している人だって、力むときには力むし、怒るときには怒るんです。
人間だもの、ごくごく当たり前のことです。
ただ、その「力み」や「怒り」が「苦しみ」につながらないんですね。
なぜなら、「力んでいる」のも、「怒っている」のも、
実際には自分がやっているわけじゃない(!)ということを、
彼らはおなかの底から理解しているから。
そう。
すべては「おのずから起こってくる」ものであって、「みずから起こしている」ことなんか、ほんとうはひとつもないんですね。
もし、すべての感覚や感情や思考を自分で選べるのだとしたら、
私たち、いつだってリラックスして、いい気分で過ごしていると思いませんか?
でも、実際には、決してそんな風にはなっていない。
力んでしまうときには、どんなに力みたくなくても力んでしまうし、
怒ってしまうときには、どんなに怒りたくなくても怒ってしまう。
「起こってくるもの」を選ぶことはできないんです。
でも、「選べない」ということを知っていれば、「力み」や「怒り」が問題にはならなくなってくる。
やってきちゃったものは仕方ない。
いまは「力み」や「怒り」を思いっきり味わおう。
そんな風にこころを決めると、逆説的ですが、「力み」や「怒り」は成仏していきます。
つまり、「無」へと還っていくのです。
「おのずから」やってきたものは、私たちが変な風にいじらなければ、「おのずから」消えていきます。
そしてまた「おのずから」やってきて、「おのずから」消えていって……
その繰り返しです。
まずは、その事実を、端的な事実として受け取ってしまうことから。
それさえできれば「大丈夫」です。
自然のはたらきを信頼して、どうか、思いっきり、人間らしい感情や感覚を味わってくださいね。
どうせ、すべては、いま、この瞬間のものでしかないのだから。
「さとり」とともに生きるって、こういうことです。
ね? なにもおおげさなものじゃないでしょ?(笑)
次回へ続きます!