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- 小出遥子のさとり探究記
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第二部 連載23回目 人生という名の夢
どんなにたのしく、うきうき、わくわくするような夢でも、夢は夢です。
逆に、どんなにつらく、せつなく、いたたまれなくなるような夢でも、やっぱり夢は夢なのです。
「人生は夢のようなもの」って、割とよく聞くセリフですが、
これ、ほんとうにほんとうのことだなあ、って思うんです。
というか、もはや、「人生は夢そのもの」と言ってしまってもいいな、って。
仏さまの超巨大な手のひらの上に、
世界中のすべての人がふかふかのお布団を敷いて、
その中でぐっすり眠り込んでいる。
みんな、それぞれに、いろんな夢を見ています。
夢を叶える夢。
夢に敗れる夢。
夢自体を夢見る夢。
夢が夢だと気づく夢。
これら無数の「夢」こそが、まさしく私たちの「人生」そのものなのです。
私たちが最後に目を閉じて、この世にさよならを告げるとき、
あの世の私たちが、仏の手のひらの上で目を覚まします。
その瞬間、すべてをさとるのです。
そして、しみじみこう思うのです。
「自分は最初から“ここ”にいて、人生という名の夢を見ていただけだったんだなぁ……」
って。
まあ、これはあくまで比喩的なストーリーですけれど、
私個人の、「人生」に対するイメージは、まさにこんな感じです。
「人生はすべて夢」
即座に実感することはできなくても、
「もしかしたら、そうなのかもしれないな」と思うことから、
世界の見え方は変わっていくかもしれません。
肩の力が抜けて、楽になるかもしれません。
まあ、どちらにしても、
どうせ死ぬときにはすべて「わかる」のですから。
せいぜい、「夢」をたのしみましょうね。
次回へ続きます!