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- 小出遥子のさとり探究記
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第三部 連載42回目 ここには「いま」しか存在しない (その1)
みなさん、こんにちは!
「さとり」を体感するワーク(瞑想)、実践されていますか?
ひとりで実践するのは心細いという方は、私がほぼ毎日、朝6時から配信している
「ラジオ瞑想」https://ssl.twitcasting.tv/haruko_koideにご参加ください。
毎朝、のべ100人以上の方が、一緒に瞑想をたのしんでくださっています。
無料でご参加いただけます。お気軽にどうぞ◎
さて、ワークを実践してくださっている方の中には、自分の中の「時間」の概念が、
少しずつ変わってきていると感じている方もいらっしゃるかもしれません。
ここには、ほんとうに、「いま」しかなかったのだと、
「過去」や「未来」という概念が、あくまで「あたまの中」にしか存在しないものだったのだと、
驚きをともなった気づきがやってきている……。
そんなご自身の変化に、戸惑いを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、
大丈夫、それは「順調」なしるしです!
おなか(丹田)に意識をおさめた状態で、日常生活を送っていくと、
ごくごく自然に、「おなかが本体、あたまは補助」という感覚が生じてきます。
それと同時に、あたまで考える気持ちよさではなく、
おなかで感じる心地よさを羅針盤に歩んでいく、そんなクセが身についてきます。
おなかで感じる心地よさは、「いま」にしか存在しません。
「過去」や「未来」の心地よさは、あたまで考える(想像する)ことはできても、
それを実際におなかで感じることは、決してできないのです。
体感をともなわないアイデアは、あくまでアイデアにすぎず、
そこに実体はありません。
「過去」や「未来」は、それがどんなにリアルなものに思えても、
いまここに、その姿をあらわすことはできません。
ここには、「いま」しかないからです。
ことばにすれば、あまりにも「あたりまえ」なお話です。
でも、この「あたりまえ」さを、私たちは、ほんとうに「あたりまえ」のこととして捉えられているでしょうか?
「過去」や「未来」という名の幻想を、あたかも実在のものと考えて、
後悔や不安にのっとられてしまうことはないでしょうか?
でも、大丈夫。安心してください。
そんなときでも、あっという間に「いま」に着地できる、魔法のようなワークがあるのです。
次のコラムで、そのやり方をご紹介しますね。
次回へ続きます!
※毎朝6時よりツイキャスにて「ラジオ瞑想」という番組を生配信しています。
こちらのコラムで書いているような内容(「さとり」を体感する道)を、「瞑想」というかたちでシェアしています。
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ラジオ瞑想
毎朝6:00-6:30
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