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酷刑”牛裂き”の地で歴史を語る 幡ヶ谷・牛窪地蔵尊

”以前この地は極悪人の刑場だったそうで、そこでは……”
神仏研究家・音楽家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。

こんにちは。前回記事につづいて、渋谷区幡ヶ谷にある、牛窪地蔵尊のおはなしです。
先週は、その横に立つ「道供養塔」に注目しましたが、
肝心の牛窪地蔵尊もご紹介します。

江戸時代、正徳元年(1711)の建立です。


コンクリートで作り替えられている地蔵堂。つまり現代でも地元に人により管理が行き届いている証拠

牛窪の名のとおり、ここはゆるい坂の下に位置するくぼ地であり、では「牛」はなにかというと、なかなかエグイ由来がありました。

地元有志による解説板を引用しますと…
”以前この地は極悪人の刑場”だったそうで、そこでは、
”牛を使って最も厳しい牛裂きの刑という両足から股を引き裂く酷刑場の地であった”

……むむむ、江戸時代の処刑はなかなか激しいものだったそうですが、その中でもハードコアな刑ですね。想像すると、身体がゾワゾワします。

その「牛」にちなんだ窪地で「牛窪」という地名がつき、その後、罪人の霊を鎮める意味で地蔵を祀ったそうです。

このように鎮めの地蔵を祀ったきっかけは何かというと、やはり疫病なんだそうです。
この地に流行った疫病を、罪人のたたりとしたのでした。
いつの時代も、疫病の流行によって社会が動くのでありました。

それが正徳元年のこと。しかしこの後、この一角には鎮魂の歴史が積み重なることになります。
前回記事で紹介したものと合わせると、

 牛窪地蔵---正徳元年(1711)
 庚申塔 ---享保九年(1724)
 道供養塔---文化三年(1806)

さらに、

 交通事故遭難慰霊碑--昭和45年(1970)


地蔵堂を背に撮影。庚申塔、道供養塔、慰霊碑が並ぶ

以上、この一角には、各時代の4つのモニュメントが並んでいます。
願いの内容は疫病退散から交通安全に変わっていますが、災厄は収まらなかったのでしょう。この交差点での災厄をなんとかして鎮めようとする、地域の人々の格闘が偲ばれます。

ここは江戸五街道でもっとも古い甲州街道と中野通りの交差点。
江戸郊外の田舎道だったのが主要幹線道に移り変わり、人の往来が増えるしたがって事故も増えるのはある意味当然だったでしょう。
この4つのモニュメントは、地域の都市の発展をものがたる歴史そのものなのでした。

また、この一帯は旧幡ヶ谷村にあたる地域で、今いる地蔵尊の近くには、「代々幡斎場」がありますが、ここは江戸幕府以前の文禄年間からの古い火葬場がルーツです。ウチの親族も先日ここで葬儀をしました。

元刑場であり、葬送の地でもあった笹塚、幡ヶ谷地域。
現在はくらしやすそうな住宅地で商店街も広がっています。幡ヶ谷にはライブハウス"Heavy Sick"があって、ぼくも何回か出演させてもらいました。笹塚の十号通り商店街ではバンド仲間とよく飲んだものです。そんな街にこんな歴史があるとは知りませんでした。

皆さんのなじみの町でも、なにげなく通り過ぎる石碑などに目を向けてみたら、意外な歴史を目の当たりにするんじゃないでしょうか。
 

交差点の陰にひっそりとある、地域史のモニュメント



●おしらせ
本コラム著者・宮澤やすみ出演

1.
【小唄かふぇ Vol.29】
都内のバーでの三味線ライブ。
ゲストは、神楽研究の第一人者・三上敏視さん。
音楽と研究活動をする両名による、神仏民俗ライブ&トーク
(三密対策で入場10名限定。安全に配慮して実施します)

詳細、予約は
http://yasumimiyazawa.com/koutacafe/



2.
本コラム筆者の”仏像バンド”ことThe Buttz(ザ・ブッツ)
新譜音源発売中

「日本書紀」成立1300年記念
飛鳥をテーマにしたミニアルバム『欣喜雀躍』。
ご購入いただけると活動存続の助けになります。応援よろしくお願いいたします。
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アルバムジャケットは飛鳥・橘寺の風景



宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m