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仏像を“テツガク”する会 第2回イベントレポート(後編)


第2回「星に願いを、仏像で哲学を」

今年7月7日、表参道のカフェで開催された、第2回「仏像を“哲学”する会」
前編では、「仏像は、なんのために作られたのか?」との問いをめぐる議論をご紹介しました。

後編は、「仏像を見た時の感じ方はどうして異なるのか?」、「仏像とフィギュアの違いは何か?」という問いについて議論された内容をご紹介していきます。

第2回「仏像を“哲学”する会」


仏像を前にした時の感じ方は、人それぞれです。
「仏像を“哲学”する会」でも、各参加者が仏像へのさまざまな思いを語りました。

「人間は年を取り、見た目も変わり、心の拠り所も変わってしまうかもしれないけれど、
仏像は、いつも同じ姿、同じ表情で、同じ所にいて、安心感を覚える
「自分自身の生活を律するために、蔵王権現像に見張ってもらっている
「子供の頃は仏像が怖かったけれど、いまは“仏像は何を伝えているのか”を考えている

――なぜこんなにも、仏像に対する感じ方は異なるのでしょう?

イスム 蔵王権現


これらの問いに対しては、人それぞれ、求めているものが違うのではないか? との意見が出ました。

症状によって有効な薬が異なるように、ある人の足りないものを補ったり、
多すぎるものを減らしたり、時には、そばに寄り添ってくれたり…。
人の心のありようによって、仏像に求めていることが違うのではないか? というのです。

この解釈に基づくと、たとえ同じ人であっても、
時期や状況によって仏像の見え方が変わってくるでしょうし、
その人がいる時代によっても仏像の感じ方は異なるでしょう。

心を落ち着かせるために仏像を飾る人もいれば、
敢えて厳しい表情の仏像を飾って、自分に緊張感を持たせる人もいるという意味では、
仏像にはそれぞれ、心の不調和を中庸に引き寄せてくれる効果があるとも言えるのではないでしょうか。

さまざまな新しい疑問が出てくる中で、仏像とフィギュアの違いも話題になっていきました。

例えば、いじめられっ子がウルトラマンのフィギュアを握りしめて保育園へ行く時。
それは、強い正義の味方という理解のもと、フィギュアが自分を勇気づける効果を発揮しているのでしょう。

そうであれば、仏像とウルトラマンのフィギュアは、同類のものではないか? とも考えられます。
実際、ウルトラマンは弥勒菩薩がもとになっているとの説もあるのですから。

イスム 弥勒菩薩


一方で、仏像はウルトラマンとは異なり、衣をまとい、優しさが感じられるという意見もありました。
表情はもちろんのこと、衣の優しい素材感や、隙間に空気が含まれている感じなどが、
見る人の心に安らぎを与えてくれるというわけです。

仏像の表情や身に着けているものの意味に関する対話から、話は、海外との関係にまで及びます。

海外で、日本の仏像がもっと評価されるには、それぞれの仏像に表現されている意味や、
まとっているものの素材感など、細かい点まで伝えていかないと、
仏像の価値が伝わらないのではないか?

例えば、空也上人の口から出ている6体の阿弥陀如来は、人々を救済するために唱えた念仏「南無阿弥陀仏」を表しています。
しかし、それを知らない人が見れば、単なる摩訶不思議な像にすぎないのです。


TanaCOCORO[掌] 空也上人


仏像文化を海外に発信していくには、日本人自らがもっと仏像への理解を深め、
現代社会において、どんな意味を担いうるのかを提唱していく必要があるのではないでしょうか?

……このような、あらゆる問題を参加者みんなで共有し、会は閉じられました。

答えを求めると同時に、問いを深め、新しい問いを発見することも、哲学することの醍醐味です。

このレポートをご覧のみなさまも、「仏像を“哲学”する会」で、
仏像への思いを存分に語り合う、有意義なひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。

進行役 & 執筆者 吉田幸司
博士(哲学)。日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)を経て、現在、クロス・フィロソフィーズ(株)代表取締役。上智大学客員研究員・非常勤講師などを兼任。共著書にBeyond Superlatives(Cambridge Scholars Publishing)、『理想―特集:ホワイトヘッド』(理想社)など。
Twitter: https://twitter.com/yosh_kj