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第3回  複製技術時代の仏像とは?


複製品を所有するとは

阿修羅像や大日如来坐像といった仏像のオリジナルを一般の人々が所有して家庭に飾ることはできません。私たちが所有し、生活のなかで飾ることができるのは、それらの複製品ですが、そもそも「複製品を所有する」とは、今日、どんな意味をもつのでしょう? 
 

イスム 阿修羅

ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術』

哲学者で批評家のヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)は、無際限に複製を作ることができる媒体、例えば、写真や映画が現れることによって、芸術作品のあり方がどのように変化するかを、『複製技術時代の芸術』(1936)で論じました。

彼によれば、これまで芸術作品は、一点しか存在しない唯一無二の存在として、「アウラ」と呼ばれる独特の存在感をまとっていました。
一方、写真や映画の場合、そのような特権的な一点ものの作品は存在しなくなります。

複製技術の発達以前、優れた芸術作品は極めて高額であり、王侯貴族や富豪の所有物であるか、美術館に飾られるものでした。
ベンヤミンは、複製技術によってアウラは失われるものの、芸術が多くの人の手元に行き届き、芸術の民主化が実現されると考えました(1)。

複製技術は、二十世紀前半のベンヤミンの時代よりも遥かに進歩し、今ではデジタルデータの複製にはほとんどコストが必要なくなっています。


イスム 千手観音

今日の文化の中の「アウラ」

それにしても、複製技術によって作られたものには、アウラ、もしくはそれに相応するようなものが、まったく認められないのでしょうか?

例えば、レコードはCDに取って代わられましたが、レコードに対する需要はいまでも存在しています。
レコードを聴いている人々の中には、レコードを使用していた人々だけでなく、CDに飽き足らずレコードを使うようになった人々も多く含まれています。

また近年では、スマートフォンでいくらでも写真を撮れるようになっているにもかかわらず、使い捨てカメラに需要が生まれています。
それは、写真を撮るという行為の一回性を保証してくれるからです。使い捨てカメラで撮られた写真をスマートフォンに送る人々さえいます。

このように今日の文化の中には、デジタルな複製技術とは異なったアナログ性、さらには物質性への志向が見られ、それぞれの志向が複雑に連関し合って、さまざまな混合形態を生んでいます。

新しい複製技術時代の仏像「イスム」

イスムの仏像も、最先端の技術によって作られているとともに、重厚な存在感をもった物質であり、手間暇をかけて塗装されています。
それは、新時代の複製技術が生み出した新しい種類の存在だと言えるでしょう。

イスムの仏像は、単にデジタルな存在ではありません。
仏像を部屋に飾るということは、パソコンやスマートフォンの壁紙を仏像の画像にするということとは根本的に異なっています。
パソコンの中では、いくらでも千手観音の画像を増やすことができますが、物質としての千手観音像はそうではありません。
インテリアとしての仏像は、複製技術によって作られたものでありながらも、その所有者によって愛でられ、家庭ごとの歴史性を帯びていきます(2)。

みなさまのご家庭に飾られた仏像も、各家庭に固有の物質的な存在として、かけがえのない存在となっているのではないでしょうか。

脚注
(1) ヴァルター・ベンヤミン 『ヴァルター・ベンヤミン著作集』 第2巻、晶文社、1970年。
(2) なお、ベンヤミンは、複製技術により、芸術作品の「展示的価値」が重視されるようになると論じている。

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執筆者: 岡田基生
上智大学大学院哲学研究科・博士前期課程修了。専門は、京都学派の哲学。論文に「歴史の動きに関する基礎的研究―後期西田哲学を手がかりとして―」(『哲学論集』、上智大学哲学会、2017年)などがある。