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第342回 ヒトガタと人の複雑な関係「ボーダーレス・ドールズ」展

”どれが人間でどれが人形か 不思議な感覚--”
音楽家で神仏研究家の宮澤やすみが、仏像とその周辺をブツブツ語る連載エッセイ。

こんにちは。通っている歯医者でがんばっていた若い研修生さんが卒業となり、ちょっと寂しい気分になっている宮澤やすみです。縁もゆかりもない一患者だけど、立派な歯医者さんになってね。

そんな中、渋谷の松濤美術館での面白い展示を見てきました。
タイトルは「私たちは何者?ボーダレス・ドールズ」といって、仏像ファンにとっても見逃せない展示だと思います。
主役は人形なんですけど、ひとくちに人形といってもこれがまた幅広すぎる概念なのです。

以下、写真は報道内覧会で許可を得て撮影したものです。


ポスターのメインヴィジュアル。平安時代の呪いの形代(かたしろ)から村上隆のKo²ちゃんまで、人の形をした造形をみていく

「人形」とは何か?
「人形」と「彫刻」はちがうのか?
「人形」は美術品になるのか?

というような、人形って何?とあらためて問われると、答えはなかなか出てこないもの。
明確な結論は出ないものですが、我々仏像ファンからしても、仏像と彫刻のちがいとか、教会で見たマリア像は神像になり得るのか?とか、ちょっとした疑問がずっと心の中にあって、眠れぬ夜を過ごしたこともあるでしょう(そこまではないか)。


呪いを込める”形代:かたしろ”で、このように立体造形でできているのは珍しい。男女の名前もはっきり読める。《人形代》平安京跡出土 平安時代前期 京都市指定文化財 京都市

展示の解説や図録を読むと、まず「彫刻(Sculptureの意訳)」という概念は明治の文明開化と共にやってきた考え方で、それ以前の日本人にはなかったものだった。
そもそも「美術」という言葉もなかったわけですし。

ちょうどそのころ、日本で好評を博したのが「生人形(いきにんぎょう)」。
今にも動き出しそうな迫真の写実で、見ていてちょっと怖いくらいです。


これは生首ではなく胴体は別で保管してありマネキンのように着物を着せる。《生人形 束髪立姿 明治令嬢体》安本亀八 明治40年 東京国立博物館

これを美術作品=彫刻とするか、人形と捉えるかで論争があったみたい。

図録に収録されているコラム「近代日本彫刻史と人形」(田中修二:大分大学教授)では、「人形」と「彫刻」をどう区別してきたかという近代日本のようすが紹介されていて興味深いです。もちろん、この論争には「仏像」の存在も絡んできます。

--「彫刻」という語そのものが、明治初期に西洋からスカルプチャーの概念が入ってきて新たな意味を付与されたものであり(中略)大きな揺らぎや未確定さを内包した語であるといえる。--
「近代日本彫刻史と人形」より引用

ただ、美術家や評論家でもなんでもない一般の日本人は、なんとなーく「人形」と「彫刻」を感覚的に区別しているようにも思います。


ちょうど前回記事で紹介した「太平楽」の舞人姿も。要するに四天王そのままの装束だが、現代までその意匠が変わらずに伝わっていることがわかる。《太平楽 置物》竹内久一 明治時代 20世紀 東京国立博物館

私の感覚で言わせてもらうと、その区別は「用いるものかどうか」という点にあるように思うんですけど、いかがでしょうか。
人形は、古くは呪いを込めた呪物、穢れを移して流す、近世以降は愛玩品として遊ぶなど、何かしらの用に使われきました。


戦地の兵士に送られた慰問人形。「兵士らに銃後の守るべき者の姿を想像させ、戦意を鼓舞するねらいがあった」(図録より)。《人形 奉公袋》昭和時代 20世紀 靖国神社遊就館

彫刻は、美術館やギャラリーで鑑賞するモノで、何かの用途に使うことはない。
そんな区別が、ざっくりですけど、あるような気がします。

では仏像は?というと、
仏像も、呪物の一種として祈りが込められてきたので、用途がある。でもそれを人形とは言い難い感じはありますが、「彫刻」とも言い難いですね。むずかしいです。


「サンスケ」と呼ばれるこの人形は、12人で山に入ると災いが起こるという青森県津軽地方の風習によって13人目のメンバーとして山に同行する。これも立派な用途がある人形だ。《サンスケ》昭和時代 20世紀 青森県立郷土館

仏像の場合は、魂が込められる儀式を経ることで生きた存在として扱われるというタテマエがありますよね。あたかも仏や菩薩がこの場に現出した!という”ストーリー設定”もあったりして、そもそも「見る」ためのものではなかったわけです。近代以降の我々は美術館でまじまじと見て鑑賞しますけど、昔はそういうタテマエが守られてきた。

でもこれ現代では、観賞用の仏像「イスム」が登場したことで、ますます仏像と人形と彫刻の境目がグレーになってきていますけどね。
イスムの仏像をインテリアとして飾る人もいれば、マジメに祈る人もいるし、それはもう人それぞれお好きに、です。

「阿修羅クン」なんて呼んだりしますけど、元々のキャラ設定(やんちゃな守護神)が明確にあるから感情移入しやすいのかもしれません。


こうしてみると、どれが人間でどれが人形かわからなくなってくる、不思議な感覚に襲われる

この連載では、この前「実物大ガンダム」と大仏を比較してみました。その時も、やはりガンダムは仏像とは異なるものの、ガンダムがただのメカではない感じもありました。
ガンダム会場では、「ガンダムとじゃんけん大会」なども行われていたんですけど、これも今回の展示テーマと共通します。
ガンダムがじゃんけんするとは、つまり元々人が操縦する「乗り物」であるはずのガンダムが、自発的にグーとかチョキとか出す生きた存在として、人間と接するんですね。これはもはや「ガンダムさん」として生きた存在に扱われてます。
こういう感覚、日本人に色濃いものだそうです。


バルコニー部分に置かれているのは、精巧なラブドール。生人形よりさらに精気があり体温さえ感じるような存在感を間近で感じてほしい。喪失感を埋める”心のパートナー”となる

松濤美術館の担当学芸員さんに話を伺うと、
「”私(人形)たちは何者?”という文を英訳しようとしたとき、人形を指して"Who"という言葉は使えないと指摘されました」
つまり、英語の文脈では、あくまでも人形はモノであり、人間を指す人称代名詞が英文法上では使えないのだそうです。
日本人なら、人形にも(時には猫にだって)「あの子が」と普通に言えてしまいますが、そのように人形を生きた存在として当たり前に思ってきたのは、日本人の長いくらしのなかで沁み込んだ心象なのかもしれません。

ちなみに欧米だとテディベアとかクマのプーさんとかあるけど、今回はあくまで人の形をした人形がテーマであります。


それでは聴いてください。
フランス・ギャルで「夢見るシャンソン人形」
(日本語で歌ってます)。



私たちは何者?ボーダレス・ドールズ
松濤美術館
2023年7月1日(土)~2023年8月27日(日)
https://shoto-museum.jp/exhibitions/200dolls/


(過去記事)
「18mの視線」ガンダムと大仏のちがいを実感する
https://www.butuzou-world.com/column/miyazawa/20230516-2/



---おしらせ---

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宮澤やすみ公式サイト:http://yasumimiyazawa.com
宮澤やすみツイッター:https://twitter.com/yasumi_m