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第10回 なぜ、仏像は奥深い印象を与えるのか


「仏像が何を表現しているのか」

仏像に奥深さを感じるという方は、数多くいらっしゃることでしょう。仏像が持っている、この独特の魅力を解明するために、今回は、「仏像が何を表現しているのか」という観点から考えてみることにしましょう。

第6回目以降のコラムでは、「仏像を見ていると落ち着くのはなぜか」という問いについて考え、意識集中型瞑想についてご紹介してきましたが、伝統的な意識集中型瞑想でも、意識を集中する対象は非常に深い意味を持っています。

念仏が当初意味していたものは、仏の姿を頭の中で思い描き、それに意識を集中させることでした。「南無阿弥陀仏」という名号も、生きとし生けるものを救済する仏の名前です。念仏による意識の集中状態は、一切の生きとし生けるものを救うことを誓った阿弥陀如来の慈悲への感謝と信頼を伴っているのです。

日蓮宗の「南無妙法蓮華経」という題目も、単なるお経のタイトルではなく、法華経に表現された真理、ないし真の現実を表すものです。

禅の数息観で呼吸に意識を向けるのも、呼吸が自らの生命の根幹をなす働きとなっているからです。

仏像を見るということも、念仏のように仏に意識を向けるという側面を有して、それは、念仏の行者のように実際に仏を信じている場合にも、仏像を美術品と考えている場合にも当てはまります。
『仏』という理念の人格化

哲学者の和辻哲郎が、「ギリシャの神像においては人体の聖化を意味しているが、仏像においては『仏』という理念の人格化を意味している」と論じているように(1)、仏像は、智慧(悟り)と慈悲という理念そのものを人の形で象徴的に表現したものであると言えるでしょう。それが、奥深い印象を生み出しているのです。

和辻哲郎(1889年-1960年)

なお象徴は、宗教哲学者の長谷正當が論じているように単なる記号とは異なります(2)。地図上の「卍」がお寺を表すように、記号は一つの意味を指し示すだけで、単に意味や情報を伝えるだけのものです。

それに対して象徴は、二つの意味を表しています。一つは、文字通りの意味、見たままの意味です。例えば、仏が座る台座(蓮台)は、蓮の花(蓮華)を表すとともに、見たままの意味を通して体感的に見えてくる隠れた意味があります。蓮台の例では、蓮の花という見たままの意味に隠れた、無限の生命力や、清らかな悟りの境地という意味です

象徴に触れることは、記号を読み取ることのように、単に意味を受け取ることではありません。通常の言葉や目に見える形では表現できないものを、視覚的なイメージを通して体験することです

そこには深い感動があります。長谷氏の表現で言えば、「深さの次元」の体験です。それは、記号のやり取りをするだけの日常の中では見失いがちな、生きているという実感を呼び起こし、自分自身と深く向き合うことができるようになる体験ですそのような象徴に満たされた仏像には、人々の願いや祈り、仏教の奥義が視覚的な形で表現されているのです

脚注
(1) 和辻哲郎 『和辻哲郎全集』 第4巻/岩波書店(1989年)
(2) 長谷正當 『象徴と想像力』/創文社(1987年)

読書案内
和辻哲郎 『古寺巡礼』/ちくま学芸文庫(2012年)

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執筆者: 岡田基生
上智大学大学院哲学研究科・博士前期課程修了。専門は、京都学派の哲学。論文に、「歴史の動きに関する基礎的研究―後期西田哲学を手がかりとして―」(『哲学論集』/上智大学哲学会/2017年)、「新しい知識人のタイプの構成―三木清の人間タイプ論を手がかりに―」(『人間学紀要』/上智人間学会/2018年)などがある。