第二部 連載21回目 「おのずから」起こってくる
「さとった人」というと、一般的には、 いい感じにリラックスして、余分な力が抜けていて、 口元にはいつだって穏やかな笑みをたたえていて、 他者に対して決して腹を立てることのない人…… そんな、「仙人」や「聖人君子」のような …続きを読む
1984年生まれ。「TANDENメソッド」発案・指導者。文筆家。著書に『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』(KADOKAWA)など。
https://koideharuko.com
挿絵 にっひ:仏イラストレーター、消しゴム仏はんこ作家。著書に「消しゴムはんこの仏さま」(日貿出版社)がある。
http://nihhi.jp
「さとった人」というと、一般的には、 いい感じにリラックスして、余分な力が抜けていて、 口元にはいつだって穏やかな笑みをたたえていて、 他者に対して決して腹を立てることのない人…… そんな、「仙人」や「聖人君子」のような …続きを読む
「さとり」ってなんですか? と問われたら、 「仏とともにあること」 と答えます。 「仏とともにあること」とはどういうことですか? と問われたら、 「いま・ここ・自分を生きること」 と答えます。 「いま・ここ・自分を生きる …続きを読む
みなさんは、今回のタイトルの二つのことばをご存知ですか? お釈迦さまの最期のことばとされる「自灯明(じとうみょう)」と「法灯明(ほうとうみょう)」は、 それぞれ、 「よくととのえられた自己をともしびとして歩んでいきなさい …続きを読む
「これでいいのだ!」 言わずと知れたバカボンのパパの口癖です。 ライトな仏教書などを読んでいると、割とよく、 「これでいいのだ! こそが、さとりの境地である」 といったようなことが書かれているのを目にします。 これは、あ …続きを読む
さとりを「探求」していた頃の私は、 悲しみや怒り、みじめさ、やるせなさなどの「ネガティブ」な感情を、 必死で「排除」しようとしていました。 それらが私の世界から完全に消えてなくなれば、 そのときはじめて、私のこころに平安 …続きを読む
今回からは「さとり探究記(第二部)」ということで、 現在の私の視点から、あれこれ書いてみたいと思います。 「さとり」は、「いま」「ここ」「自分」とともにあった―― そう深く理解できた瞬間に、私の「さとり探求」は終わりまし …続きを読む
私は、すでに、絶対的な「救い」の中にあった—― この大きな気づきに包まれて以来、私の生活は変わっていきました。 まず、数年間、毎日続けていた坐禅をすっぱりやめてしまいました(笑)。 坐禅が嫌いになったというわけではありま …続きを読む
私は、ずっと、 「さとり」の境地とは、「仏」の住処とは、「極楽」とは、「浄土」とは、 「ここではないどこか」に存在するものだと思っていました。 でも、違いました。 …続きを読む
「さとり迷子」とも呼ぶべき状態に置かれていた私は、あるとき、仕事の一環で、浄土系仏教に関する図書を収集することになりました。 その中の一冊に、浄土宗開祖 法然さんのご臨終のシーンが描かれた本がありました。 その内容に、私 …続きを読む
仏の世界に憧れれば憧れるほど、いまの自分と仏との間の距離を知り、絶望感にうちひしがれる……。 そんなことを繰り返し続けていたある日、思いも寄らない方向から、私に「光」がもたらされました。 その頃、私は、とある美術系博物館 …続きを読む