宮澤やすみの仏像ブツブツ



風神雷神が吉原に繰り出した? 小唄で描かれる神仏世界

2017年 10月 21日

私・宮澤やすみは日ごろ三味線を弾きながら江戸の小唄を歌っている人間ですが、古い小唄には神仏を歌う曲もございます。

といっても、その内容はじつにふざけたものでして、「風神雷神」という歌なんかは、
俵屋宗達の描いた風神雷神が絵から抜け出し、吉原に繰り出して遊びつづけて夜を明かし・・・という、
じつにナンセンスな滑稽歌になってます(興味ある人は下の動画で)。


仏像だとこんなイメージ(イスム仏像より)

ほかの小唄もおしなべてこんな調子。
江戸の庶民にとって、神仏は暮らしになじんだキャラクター。ギャグの対象といいますか、マンガのキャラのような存在だったようです。

年に一度、私の弟子一門総出で開かれる演奏会があります。
場所は東京の花街、神楽坂。
お寺のお座敷で、舞踊を交えて楽しくやります。
今年は10月28日(土)の午後3時。

【宮澤やすみ一門会「小唄 in 神楽坂」】
 http://www.yasumimiyazawa.com/kouta.html

今回はこの「風神雷神」を舞踊付きで披露します!
解説トークもあって、ゆるりと楽しめるので、ぜひお越しください。


初心者が対象なので、気軽にどうぞ!


宮澤やすみの音楽活動(公式サイトより)
http://www.yasumimiyazawa.com/music.html


小唄「風神雷神」の弾き歌い(ほかの曲を交えて編集しています)


フリーランサー注目、運慶のサインから見えるプロ根性

2017年 10月 14日

仏像ファンでなくても、フリーで仕事している人なら、”運慶デビュー作”大日如来坐像はオススメです。

まだ20代だった運慶が造った、はつらつと若々しいお顔の大日さんです。


《大日如来坐像 円成寺蔵》特別展『運慶』取材時に許可を得て撮影

興味深いのは、運慶さんが仏像の内部に自分が造ったことを書き記しているんですね。
その細かい内容は展示でご覧いただくとして、かいつまんでいうと、「運慶がこの仕事受けました」と記したもので、日付と、なんとギャラまで書かれているんです。


運慶自筆の墨書、展示解説されています

その記述は、

「給料物上品八丈絹肆拾参疋也」

細かいことは省きますが、高級な絹をドンとたくさんいただいたようです。

運慶さんは、胎内に書いたギャラ情報が、まさか800年後に公開されるとは思ってなかったでしょうね(笑)

ここから私の妄想スイッチが入るのですが、デビュー当時の運慶さんがこんな情報まで書くその気持ち、わかる気がするんです。

フリーランスの人のボヤキでよく聞かれるのが、「タダでやって」と言われた、という話。

「宣伝になるから」とか「次につながるから」といった理由を並べられて、ボランティアで仕事をさせられることがある。

若手のカメラマンとか、イラストレーター志望の若い子たちとか、アマチュアとプロの境目で苦労している人にありがちな話です。

そこで、「ちゃんとギャラをもらって仕事してます」というのは「アマチュアではありません」というアピールになるんですよね。

運慶さんも、こういう気持ちがあったんじゃないかと思うわけです。

当時は、平安京で院派、円派の仏師が貴族からの注文を受けて、南都(奈良)の仏師はそこに入り込めなかった。まして運慶はまだ若かったから、自分の才能が生かせない状況に悔しい思いをしていたんじゃないでしょうか。


そこに舞い込んだ円成寺の仕事。
自分なりの仕事ができて、ギャラもちゃんと出る。
うれしかったでしょうねえ。モチベーションあがったでしょうねえ。
これでオレもプロの仲間入りだ! と思ったことでしょう。

その思いが、あの詳細すぎる墨書から伝わってくるようです。


こんな運慶をイメージしたオリジナルソングを私は歌っています。
このたびミュージック・ビデオが完成しましたので、ぜひご覧ください!


※動画に写っている仏像は運慶作ではありません 


フリーランサーなら身に染みる、”運慶デビュー作”大日如来坐像。運慶と上野の居酒屋で、グチをこぼしながら飲んだくれたくなります。




特別展「運慶」
2017年9月26日(火)~11月26日(日)
月曜休館(10/9は開館)
東京国立博物館「平成館」にて
公式サイト
http://unkei2017.jp



仏像バンド「宮澤やすみ and The Buttz」
http://www.yasumimiyazawa.com/buttz/


ダ・ヴィンチより早い! 運慶の「仏像ルネサンス」

2017年 10月 7日

運慶展、早くも大盛況のようですね。自分も仕事がらみですでに3回訪問。

たくさんの運慶仏があるなかで、宮澤的におすすめの一体は、こちらです。


《大日如来坐像 栃木・光得寺》詳細は会場でじっくり観てね

これは、栃木県の光得寺に伝わる像で、厨子の荘厳もふくめてきらびやかで優美です。
とくに注目は台座でして、4頭の獅子が支えています(もともとは7頭あったらしい)。

と、ここで、話は博物館から京都の東寺へ移ります。

東寺は、日本での密教の拠点で、今でも平安時代初期の古仏がずらりならんでいます。圧巻です!

で、ここ東寺の講堂の中心には大きな大日如来さんがいますが、もともとこの大日如来が獅子蓮華座、つまり光得寺像と同じスタイルだったそうです。
しかし、東寺の像は火災で焼けてしまい、今は別の姿になっています。

運慶さんは奈良の興福寺に所属していたので、奈良で古典的な仏像を勉強したほか、東寺の仏像修復にも携わっていたそうで、だから焼ける前の東寺の大日さんに接していたんですね。

それを踏襲して造られたのが、今回展示されている光得寺像。
今はもう見られない、制作当初の東寺の像の姿が、これで偲ばれるわけですね。

運慶はじめ慶派の仏像は「鎌倉新様式」と呼ばれますが、なにも突然アバンギャルドなことをしたのではなく、仏像造りの古典をしっかり勉強して、それを復興させたのでした。

さらに、ただ古典のコピーではなく、玉眼などでリアルな人間味も加えた。
無著さんとか八大童子なんか見ると、話しかけたくなりますもんね。

古典の復興+人間味といえば、これはまさに「ルネサンス」。
運慶と慶派の仕事は、「仏像ルネサンス」ともいうべき仕事だったんですねえ。
ダ・ヴィンチよりも200年くらい早いルネサンスでした。


(ちなみに)
光得寺像の出自について、栃木の名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の文書によると、もともとは地元の樺埼八幡宮(その神宮寺である樺埼寺)に祀られていました。
神仏習合ネタが好きな私としては、このへんの話に食いついてしまいます・・・。そのへんの話はまたこんど。



特別展「運慶」
2017年9月26日(火)~11月26日(日)
月曜休館(10/9は開館)
東京国立博物館「平成館」にて
公式サイト
http://unkei2017.jp


気分は仏像同窓会!?「運慶展」

2017年 9月 30日

東京国立博物館の特別展「運慶」を取材してきました。
なにしろ運慶と慶派の有名な仏像が、あれもこれもギュッと一堂に。
なかなかの仏像パーティぶりでした。
仏像ファンなら必須の展示かと思います。


無著さんと世親さんに歓迎されて、仏像パーティに招かれた気分

クライマックスは奈良・興福寺の諸像。

現在、興福寺の南円堂にある四天王は、もとは北円堂にあったとされるそうで、
展示では、北円堂の有名な像である無著と世親の両像といっしょに配置され、往時の北円堂の内陣を再現しています。

この、無著さんと世親さんのお二人、やはり素晴らしいですね。
四天王や菩薩のような派手さは一切無いものの、その圧倒的な存在感に改めて感動しました。
写真やネットでよく見る像ですが、やはり実物の感覚はぜんぜんちがいますね。

展示はまず「運慶のデビュー作」といわれる円成寺・大日如来から始まります。
20代の運慶が「やったるでぇ~!」とがんばって造り上げた仏像。その気持ちに共感し、私はこの像をイメージした仏像ソング”Great Sunshine Boy”という歌を歌っています。
展示はそこから伊豆・横須賀の名作、願成就院と浄楽寺の仏像が並びます。


運慶作と目される興福寺の仏頭も独特の存在感

運慶ファミリーの作も展示。

運慶の父・康慶作、奈良の長岳寺の阿弥陀三尊は、玉眼を使った最初期の例として有名。お寺では暗い中で少し離れた位置からの拝観ですが、ここでは間近に拝めます。

運慶の子・康弁作、怪獣っぽい風貌だけどカワイイ天燈鬼、龍燈鬼は、展示の最後でお出迎えしてくれます。


高野山から八大童子も東京出張(運慶作の6体のみ)


写真や旅先で何度も会ってきた仏像ばかりですが、こうして一堂に集まって再会を楽しむのもいいですね。
まさに気分は仏像同窓会。
「やあひさしぶり!」「最近どうしてた~?」なんて会話が聞こえてくるよう(ハイ完全に妄想ですね)。

展示替えもあるので、また行ってみたい、今年最大の仏像展だと思います。


特別展「運慶」
2017年9月26日(火)~11月26日(日)
月曜休館(10/9は開館)
東京国立博物館「平成館」にて
公式サイト
http://unkei2017.jp


座っている観音、地蔵

2017年 9月 23日

ここんとこずっと立ち姿の仏像の話で、まあ「立ち話」もなんですから、座ってブツブツいたしましょうよってことでしてね。

それにしても、こんな小文にも反響いただくようになりどうもありがとうございます。
もうホントただブツブツつぶやくだけの小連載でして、たいした結論は全然ないんですよね…しかし有難いことに連載なので、ちびちびとちょっとずつ、小出しにやっていってるという次第です。


で、座った像は、大仏さんみたいに主役としてお寺の真ん中にどーんとあるのがしっくりきます。つまりご本尊。

ご本尊は、本来なら如来さんが適任なんでしょうけど、時には菩薩が本尊になることもありますよね。

こちらの写真は、奈良の福智院をテレビのロケで訪れたときの写真です。


ロケするもオンエアではばっさりカット…(泣)

ご本尊は地蔵菩薩なんですけど、一般的なかわいらしいお地蔵さんとはちがって、貫禄たっぷりですね。
服装や体つきだけ見ると、「ほぼ如来」っていう感じです。
(ただし足の組み方がゆるんでいてそこだけ少し菩薩感を出してはいる)


差し入れは天平庵さんのどら焼き。隠れミッキー?じゃないですよ!洲浜型っていう

こうやって、貫禄たっぷりに造るのは、やっぱりご本尊として如来に匹敵する貫禄を表現してるみたいです。


こちらの写真は、先日の東京国立博物館で話題となった奈良・櫟野寺のご本尊。十一面観音菩薩。


報道内覧会にて。重量級の迫力でした

前々回で紹介した妖艶な十一面さんと、印象がぜんぜんちがいますよね。
坐り方は、結跏趺坐(けっかふざ)といって、仏像の座り方の基本です。悟りを開いて深い瞑想に入った状態とされます。

学芸員さんの解説によると、櫟野寺の像はやはり如来の風格を表現しているそうです(とくに腹部の二本の皺は天台系の薬師如来に見られる特徴だそうで)。

そんなわけで、菩薩なんだけどご本尊として祀るときにはそれなりの風格のある姿、つまり如来っぽく造るやり方もあるんですね。
(もちろんシュッとした立像の例もたくさんありますけどね)

あと、大宰府の観世音寺に行くと、収蔵庫に観音菩薩の坐像があります(写真は検索すれば出ます)。
今でこそ収蔵庫の角っこに座ってますが、もともとはお堂のご本尊としてセンターに座ってました(旧講堂本尊)。
このお方もやっぱり堂々とした体格をしています。

立っている、座っているという姿勢、いろんな意味が込められているんですよね。

このほかにも半跏坐とか輪王坐とか大和坐りとかいろいろあるけど、また機会あれば触れてみたいと思います。


直立の観音 – 神社の仏像

2017年 9月 16日

立ち姿の仏像の話が続きましたが、今回は”神社に祀られる仏像は、直立ポーズが基本”というお話です。

で、神社の仏像ってなに、って話をしないとですね。

まず、明治より前の時代は「神仏習合」の時代です。
つまり、日本の神と仏がほとんど同一視されていた時代。

なかでも、「日本の神の本体は仏である」という考え方があって、神に対してその本体となる「本地仏」というのが設定された。

たとえば、近ごろ陽明門の修復が話題になっている東照宮は、神が東照大権現(徳川家康の神号)、本地仏が薬師如来です。

こちらの写真は、東京・大國魂神社にある仏像です。


だいぶ小ぶりの仏像です

見てのとおり、長い衣をまとった如来のほか、細身の菩薩、甲冑を着た天部もいますね。

立ち方を見ますと、みんな直立。
本来なら勇壮なポーズを付けるはずの天部もお行儀よく立っています。

現在は、宝物殿に展示されていますが、江戸期は本殿に祀られていたらしいです。


本殿(特別な許可を得て撮影)。ここに仏像も祀られた?

本殿には主祭神が6柱(神を数える数詞は”柱”といいます)祀られていて、なので仏像もそれに合わせた本地仏の像が祀られたというわけです(現在は5体残存)。

いずれにしても、なぜ直立なのか、はっきりと理由があるわけではありませんが、やはり、直立しているほうが厳格な感じがしてしっくりくるんでしょうかね。

また、以前この連載で紹介した、長浜市の横山神社の馬頭観音像。こちらも神社の本地仏ですから直立かなと思って、よ~く見ると、ビミョーに右足をほんのちょっとだけ曲げていました。
ですから全部がゼッタイそうというのではなく、例外もあるものなんですがね。それにしても、傾向としては直立が多いように思います。

ちなみに、十一面観音も本地仏となる場合が多いです。

前回紹介した、聖林寺の十一面さんも、もとは奈良の三輪山を神として信仰する大神(おおみわ)神社に付属するお寺・大御輪寺のご本尊でした。
この十一面さんも、三輪の神の本地仏という意味合いがあったようです。


こんな感じで、もし近代以前の日本を知ろうと思うと、どうしても神仏習合、つまり神社と寺を一緒に見ていく必要があるんです。
ワタクシ、このあたりの話題がすご~く気になっている次第です。

明治の神仏分離令で、日本の神社とお寺の在り方がガラリと変わって、神の名前が変わり、仏像が捨てられ、民衆の伝統的な祭りなんかにも大きな影響が出たんですけど、良かったのか悪かったのか、そのへんはこれがなかなか難しい話なんですよね。
またおいおい触れてみたいと思います。


直立する観音のお話 -前編-

2017年 9月 9日

前記事で、東洋西洋にある身体をくねらせた像の話をしましたが、直立の像ももちろんありますよね。

日本だと、たとえば聖林寺の十一面観音菩薩。

聖林寺十一面観音像イメージ


前記事で紹介した、薬師寺の像は脇侍として本尊の横に位置してました。きれいなトリバンガ(身体をくねらせる)のポーズでした。
脇侍だとこういう姿勢がキマりますね。

しかし、ご本尊、つまり主役として真ん中に立つ仏像の場合は、直立ポーズがまず基本。

観音菩薩の例で見てみましょう。

飛鳥時代の法隆寺夢殿観音、奈良の法華堂の不空羂索観音などは、お堂のご本尊であり、しっかり両足を揃え直立し、正面を見据えています。威厳がありますね。
画像は検索すればすぐ出ます。

上記の聖林寺十一面さんと法華堂の像は、だいたい同じ時代(天平時代)の作です。

ところが、時代が変わると流行も変わるもので、とくに十一面観音については平安時代初期に変化がでる。密教の仏画の影響で、ご本尊でも動きのあるポーズをとるようになる。
代表例は、奈良・法華寺の十一面さま!


法華寺十一面観音像イメージ

脚を踏み出すポーズが素敵ですよね。助けに出向こうとする瞬間の姿、ですね。
この姿勢は、踊っているような古代のトリバンガ(前記事参照)とは異なる表現です。


こうして、ご本尊的な存在であっても動きのあるポーズが造られるようになり、ほかの仏像も変わっていく。
本来座っているのが基本だった不動明王が立ち姿になったり、阿弥陀如来が足を踏み出したり、快慶の「釘打ち阿弥陀」なんかはその足に釘が打たれたりする。
もちろん直立形だって変わらずたくさん造られるわけで、まさに立像いろいろな時代。


山を駆ける修験者は、立った姿の不動明王にアクティブな要素を感じた?


と、こんな感じで時代や信仰によっていろいろバリエーションが出てくるんですが、神社に祀られる仏像は、そんな中でも直立ポーズが基本のようです。

そうすると、神社の仏像ってナニ?って話になるのですが、そのへんはまた次週ということで、また!


ミロのヴィーナスから薬師寺菩薩へ 後編

2017年 9月 2日

前記事で、ミロのヴィーナスと薬師寺・日光月光菩薩を出して、
「コントラポスト」と「トリバンガ」を紹介しました。


トリバンガのスタイルを踏襲:日光&月光菩薩イメージ


両者のちがいって、何なんでしょうか? それとも要は同じことなんでしょうか?
そのへんは調べても、なかなか明確な答えは出てきません。
グルメと同じで、「洋モノ」「和モノ」の区別は存在しますが、その境界線はなかなかむずかしい。

ちなみに、日本の仏像はもちろん日本美術の範疇に入りますが、薬師寺など古代の仏像は海の向こうの美術をマネしたわけで、言ってみりゃもうほとんど「洋モノ」なんですよね。

たとえて言うなら、日本人が作ったパスタみたいなもので、しかも薬師寺像は、本場イタリアに劣らない上等のパスタ、なんとかのタリアテッレとかそういうやつですね。
これが、平安時代くらいになると、ナポリタンスパゲッティみたいに日本化していく。

私はワインが好きな人でして、古い仏像に惹かれるのはそのせいでしょうか。
あ~イスムの仏像を見ながら、ワインが飲みたい・・・。

ま、それはさておき……、

「コントラポスト」と「トリバンガ」の問題です。
まだ仮説ではありますが、私が個人的に思いますのは、両者はやはり同じものではなく、コンセプトが違うのではないでしょうか。

コントラポストは、片足に重心をかけたポーズとのことでして、わりとくつろいだ姿勢と言いますか、ごく自然な姿勢に思えます。
それを基本姿勢にすると、人物(神)の内面の感情がうまく表現されるのだそうです。


古典的なコントラポスト:ミロのヴィーナス

いっぽう、トリバンガは、動きを表現しているのではないかと。
ウォーキング・ブッダ(前記事参照)は歩き出しそうだし、菩薩たちは踊っているようです。インドや東南アジアの民俗舞踊にその源流が見られるようです。
なにしろ、こっちに向かってくるような感じがします。

つまり、観る者と彫刻との間の、意識の方向がちがいます。

トリバンガの仏像は、観ているこっちに向かって何かを働きかけてくれる、「積極性」みたいなものを感じます。
コントラポストのヴィーナスは、こっちのほうがヴィーナスの内面に引き込まれる。
ヴィーナス本人は遠くを見てこちらのことを気にかけない。「こっちに来たきゃくれば?」くらいの感じ(笑)。

そんなわけで、やはりコントラポストとトリバンガは同じようでちがうのではと思いました。

きっと、コントラポストのノウハウは、綿々と引き継がれてインドに渡ったのかもしれません。しかし、根底にあるコンセプト、つまり意識の働く方向は、民族ごとの精神性や、宗教観もろもろによって異なっていったのではないでしょうか。

以上は、あくまで私の個人的な印象にすぎませんので、ほんの参考まで。
今後また何かわかったらレポートしたいと思います。


ミロのヴィーナスから薬師寺菩薩へ(前編)

2017年 8月 26日

前記事で、西洋の美の基本は人体であると書きましたが、その代表例というとやっぱりコレですね。


ミロのヴィーナス

紀元前130年ころの作だそうです。
このポージングが特徴ですよね。左ひざを曲げて、右肩を下げて、腰も斜めになっている。
こういうポージングのことを美術の用語で「コントラポスト」といいます。

古代ギリシアからローマ、ルネサンスなどの時代、人体のポーズはコントラポストが基本。
人体の構造を熟知して、その美しさや精神性を存分に表現できるポーズとされたようです。

ここから先が本題でして、

当時の世界は、けっこう繋がっていまして、シルクロードを通して東西の文化が混淆。
古代ギリシア美術の影響を受けて、最初期の仏像・ガンダーラ仏ができました。

その後のグプタ様式はインド風で、直立ポーズもありますが、クネッと身体を曲げたポーズもある。
こういうポーズは「トリバンガ」といいます。
首、肩、脚を曲げたポーズのことで、三曲法ともいいます。

一例として、インドじゃなくタイの仏像だけど、参考まで、


東京国立博物館「タイ展」にて如来立像。通称”ウォーキング・ブッダ”

ほかにも、歩きだしそうな如来、踊っているような菩薩、見たことあるでしょうか。
インド美術 トリバンガで検索すればいろいろ出てきますよ。

さて、その美意識が東へ伝わり、遣唐使で行き着いたのが、薬師寺です。
薬師寺の日光菩薩、月光菩薩の腰のクネクネ加減! これぞトリバンガの最終形と言えましょうか。


日光&月光菩薩イメージ


で、ここで誰でも疑問を持つかと思うのですが、

「コントラポスト」とか「トリバンガ」とか言いますが、何が違うんでしょうね。
それとも同じことなんでしょうか……。

と、疑問を残したところで、続きは次週のお楽しみ!
引っ張ってスミマセン!

 
なお、「タイ展」は8/27(日)まで東京国立博物館で開催中です。
この記事掲載の翌日なんですけどね…。間に合えばどうぞ。


「ジャコメッティ」展で見える”仏像って何?”

2017年 8月 19日

あらためて「仏像ってなんだろう」と考えるよいきっかけとなりました。
国立新美術館の「ジャコメッティ」展を取材してきました。


撮影OKエリアもあって盛り上がってます

ジャコメッティといえば、ヒョロヒョロの人体彫刻が有名ですよね。

これを見て、ああ現代美術、わけわからん抽象作品、と早合点しそうですが、そうではないのです。
(私も初めて見たときは”なんじゃこりゃ”と衝撃を受け、そこからハマりましたがね)


突然こんなのが立ってたら”なんじゃこりゃ”となります

展覧会では、評論家の山田五郎さんのイヤホンガイドがすごく聴きごたえがあったので、許可を得てその言葉を引用します。

さて、ジャコメッティは、若いころはシュルレアリスムの仲間にいましたがすぐ離脱。抽象から、モデルを立たせての具象表現へ舵を切ります。

そこでのコンセプトは、自分の眼で見たまんまを、彫刻として再現するというもの。

作品をよ~く見ると、顔立ちや胸の形、ヒップなど、わりと生々しいイメージが伝わってきます。ジャコメッティが交際していた彼女をモデルに作った作品なんか、けっこうセクシーです。


表情や人となりが伝わってきます

でも、やっぱり写実表現とはちがいますよね。なんだか天ぷらの衣みたいな表面とかね(笑)、現実とかけ離れた異質な感じがします。
これ、べつにジャコメッティの視覚がおかしいとかそういう話ではない(マンガ『火の鳥・未来編』ではそんなシーンがありました)。

いったいどういうことでしょうか?

ジャコメッティを大変評価したのが、実存主義の大家・サルトルでした。彼の作品が「実存主義的だ」とおっしゃるのです。

山田五郎さんの解説によると、実存主義の考え方とは「世界は、自分が見えるようにしか存在しない」ものとまとめてくれています。今見えている世界(対象)は、あくまで自分というフィルターを通してのものにすぎないということでしょうか。

ジャコメッティは、見えたものをそのまま彫刻にするという行為で、自分だけの世界をこの世に現出させたと言えましょうか。だいぶややこしい話です。

だから、一般的な写実表現とは異なるのですね。

ジャコメッティは、モデルと何か月も向き合い、造っては削りを繰り返し、やっとのことで作品を創り出していったそうで、その制作過程は過酷だったそう。
きっと、造るというより「絞り出す」ような感じだったんでしょうか。

その中で、自分の見えている形を追求して格闘した「痕跡」が、あの天ぷらの衣状態なんじゃないでしょうか。

なにしろ、ヒョロヒョロスタイルや天ぷらスタイル(勝手に命名)を、意図的に編み出したわけではなく、やっているうちに「なんだかこうなっちゃった」というのが実情のようです(後に紹介する山田五郎さんのVTRにもあります)。


ジャコメッティにかかるとネコもこうなる(笑)


さて、仏像ファン目線で見ると、同じ彫像でも考え方が正反対のようで、しかし同じ到達点に向かっているような、そんな思考ループに陥ります。


山田五郎氏によると「実存主義の反対は本質主義といって、自分がいなくても世界は存在するというもの」だそうですが、信仰の世界はわりとこちらに近いでしょうか。

目には見えない、観念的な存在である仏を、彫像としてこの世に現出させるのが仏像造りの目的。

いわば、そこに「ない」けど、心のなかにあるものを、現実に「ある」ものとして目の前に置いてくれる。

一方、ジャコメッティの場合は、現実に「ある」ものをひたすら見て、対象と作家を隔てる存在や、作家の心の奥に沸き立つものを形にする。

両者は、アプローチは正反対ですが、どちらも存在の本質に触れようとする試みは共通してる気がしました。


展示後半の「ヴェネツィアの女」は圧巻

ただ、アプローチが正反対だからといって、単純にヨーロッパと東洋という紋切り型の解釈はできないでしょう。ジャコメッティの生きた20世紀という時代の空気もあるかと思います。

ちなみに、ジャコメッティのようにどんどん削っていくことで量感を表現する「引き算の美学」は日本人の美意識にマッチするのでは、と山田五郎さんおっしゃってます。

一般に、ヨーロッパでの美の基本は人体、東洋での美は自然とされるようで、そこに美術や宗教の本質が見えてきます。こうした東西美術の比較については、これからも取材していきたいと思います。


最後に、山田五郎さんのわかりやすい解説動画があるので貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=UCsgZW84l88

ジャコメッティ展
(東京展)
2017年6月14日(土)~9月4日(日)
国立新美術館企画展示室 1Eにて
月曜休館
(愛知展は10月14日から豊田市美術館)

展覧会公式サイト
http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/